三菱一号館美術館《異端の奇才ビアズリー展》を鑑賞。(2025年/春)

過去の展覧会

冒頭は《巻末飾り》1893年(原画)、1907年(印刷) ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館所蔵

 過去の展覧会(ダイジェスト版)になります。

6月22日追記】Eテレ『日曜美術館』にて、6月29日9:00〜9:45《ビアズリー》が特集されます。漫画家/萩尾望都さんが出演されるようです。

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2月15日から5月11日まで開催されていました。撮影できた展示室・展示作品から、印象に残った作品をご紹介します。壁面展示作品は、全てシンプルな黒縁で額装されていました。マット幅の大きい作品が多いため、額は度外視して撮影。尚、紫色の文字で表記した箇所は、パネル・キャプションから(一部)引用しました。

3 成功 ―「ビアズリーの時代」の到来

1893年4月、「ステューディオ」創刊号で紹介された1点が、ビアズリーの運命を決める。同年にフランス語で発表されたオスカー・ワイルドによる戯曲「サロメ」の一場面を独自に描き出した《おまえの口に口づけしたよ、ヨカナーン》である。この作品を出版業者ジョン・レインが目にして、ビアズリーを英訳版「サロメ」の挿絵画家に抜擢する。(中略) 時代の寵児ちようじとなった21歳のビアズリーは、革新的な文芸雑誌「イエロー・ブック」の美術編集を担当し、広告の分野に進出を果たして、まさしく社会的な成功を謳歌していた。(以下、割愛)

『ステューディオ』 1893年初頭、『ステューディオ』を立ち上げようとしていたルイス・ハインドは、20歳のビアズリーと出会って特異な才能に衝撃を受け、創刊号で特集を組むことを決め、表紙のデザインまでを依頼した。これを機に、一躍ビアズリーは人々の注目の的となる。

『ステューディオ』創刊号の表紙 1893年 ライン・ブロック ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館

『ステューディオ』創刊号の表紙 1893年 ライン・ブロック ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館

そごう美術館で過日鑑賞したアルフォンス・ミュシャ(1860−1939)の作風を想起しました。文字を帯状に表現したり、植物を密に配置したり、画面を分割して文字を配したり、といった手法も共通しています。ビアズリーは1872年生まれ。一回り年長のミュシャの活躍は、ビアズリーの創作意欲を掻き立てたのではないか、と想像します。

おまえの口に口づけしたよ、ヨカナーン 1893年 ライン・ブロック/ジャパニーズ・ヴェラム[厚地和紙] ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館

『ステューディオ』創刊号で出版業者レインとワイルドの目にとまり、英訳版『サロメ』の挿絵を依頼されるきっかけとなった作品。

おまえの口に口づけしたよ、ヨカナーン 1893年 ライン・ブロック/ジャパニーズ・ヴェラム[厚地和紙] ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館

1893年にパリで発表されたこの戯曲は、牢獄の預言者ヨカナーン(洗礼者ヨハネ)に恋い焦がれた王女サロメが厳しく拒絶され、義父のヘロデ王に捧げた踊りの褒美として彼の斬首を望む、という筋書きである。

意中の人を殺し愛玩物にしてしまう衝撃的な場面。生首となったヨカナーンは目をかっと見開いているようにも見受けられます。下部に描かれている花は、滴り落ちる血を栄養にして成長した、と解釈して良いでしょうか。サロメが来る日も来る日も生首を抱いて過ごした時間的経過も表現しているのでしょうか。

オスカーワイルド著『サロメ』1894年 Kコレクション

この青い布装の1冊は755部印刷された普及版。

オスカーワイルド著『サロメ』 1894年 Kコレクション

『サロメ』 サロメが牢獄のヨカナーンに想いを寄せるというオスカー・ワイルドの戯曲の設定に対して、聖書には、叔父でありながら義父となったヘロデ王に娘が踊りを所望され、母である王妃にそそのかされて預言者の首を褒美に要求したと簡潔に記されるのみである。

聖書の解釈に従えば、サロメの母が元凶なのですね。夫(前王)をその弟(ヘロデ王)に殺させたり、預言者ヨカナーンを娘サロメに殺させたり…。人を使嗾して陰でほくそ笑む悪女。その精神構造が恐ろしい。

月のなかの女 1893年(原画)、1907年(印刷) ラインブロック/ジャパニーズ・ヴェラム[厚地和紙] ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館

月明かりのなか、ヘロデ王の宴が催される宮殿で、兵たちが語り合う。遠景の大きな月には、ワイルドを思わせる顔が描きこまれている。(中略) 英訳版『サロメ』の発表後に、ビアズリーによる挿絵全体を「たちの悪い落書き」と評している。

先の解説によれば、ビアズリーは『ステューディオ』創刊号で出版業者レインとワイルドの目にとまり抜擢されたのでしたね。いわば恩人を丸い月に見立てるとは!擬人化された月が自分とそっくりだとしたら、ワイルド氏でなくとも不愉快だったことでしょう。ビアズリーは初対面からワイルド氏を好かなかったということでしょうね。

ヘロデヤの登場 1893年(原画)、1907年(印刷) ライン・ブロック/ジャパニーズ・ヴェラム[厚地和紙] ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館

ヘロデヤの登場 1893年(原画)、1907年(印刷) ライン・ブロック/ジャパニーズ・ヴェラム[厚地和紙] ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館

聖書でサロメは「娘」「少女」と記されるのみであり、悪役は母ヘロデヤである。義弟ヘロデと通じて夫を殺し、義弟との婚姻を批判した預言者を恨んで、娘に命じて斬首させた。(中略) 画面右下にワイルドが描きこまれている。

ヘロデヤ王妃は半裸でしょうか?王妃の左側に立つ男は、いちじくの葉で陰部を隠し、左手にリンゴを持っています。アダムに仮装した男、という演出でしょうか。傍らにかしずく男は単純化されて描かれていました。

ヘロデ王の眼 1893年(原画)、1907年(印刷) ライン・ブロック/ジャパニーズ・ヴェラム[厚地和紙] ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館

ヘロデ王の眼 1893年(原画)、1907年(印刷) ライン・ブロック/ジャパニーズ・ヴェラム[厚地和紙] ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館

宴の席では、義父のヘロデ王がサロメに絶えずよこしまな視線を送る。このヘロデ王は、王であった兄を殺して玉座を奪い、兄の妃ヘロデヤを妻とした。(中略) 本作品でヘロデは、ワイルドに似た顔立ちの人物として描かれている。

ヘロデ王は、玉座・兄の妃を我がものとしただけでは飽き足らず、姪でもあり義理の娘でもあるサロメによこしまな気持ちを抱いている。倫理観の欠如には驚くばかりですが、ヘロデ王に限らず、この王族一家は危険人物の集合体ですね。またもワイルド登場。怒り心頭だったことでしょう。

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感想(34件)

ベリー・ダンス 1893年(原画)、1907年(印刷) ライン・ブロック/ジャパニーズ・ヴェラム[厚地和紙] ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館

ベリー・ダンス 1893年(原画)、1907年(印刷) ライン・ブロック/ジャパニーズ・ヴェラム[厚地和紙] ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館

義父ヘロデ王に「何でも欲しいものをやる」と言われ、サロメは踊りはじめる。(中略) 褒美にサロメは預言者の首を手に入れる。

サロメの踊りは何ものにも代えがたい魅力があったのでしょうね。楽器を奏でるのは、もはや人間ではない。闇の世界から姿を現した魑魅魍魎の類でしょうか。

踊り手の褒美 1893年(原画)、1907年(印刷) ライン・ブロック/ジャパニーズ・ヴェラム[厚地和紙] ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館

踊り手の褒美 1893年(原画)、1907年(印刷) ライン・ブロック/ジャパニーズ・ヴェラム[厚地和紙] ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館

踊りの報酬としてサロメが所望したのは、ヨカナーンの斬首だった。(中略) しばらくして、銀の大皿にのせられたヨカナーンの首が地下から届く。

銀の大皿に載せられて運ばれてきたのは料理ではなく生首。サロメの大好物かもしれません。ヨカナーンの首実験をする冷静なサロメに背筋が凍ります。ヨカナーンの髪と滴り落ちる血液の見分けがつかない、その加減が絶妙です。

クライマックス 1893年(原画)、1907年(印刷) ライン・ブロック/ジャパニーズ・ヴェラム[厚地和紙] ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館

クライマックス 1893年(原画)、1907年(印刷) ライン・ブロック/ジャパニーズ・ヴェラム[厚地和紙] ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館
クライマックス 部分

ついにヨカナーンの首を手に入れ、歓喜に浸るサロメ。同じ場面を描いた『ステューディオ』創刊号の掲載作品が版権の都合で転載できず、本作品を制作し直すことになったと伝わる。

本展を象徴する作品。クライマックスとは、まさに口づけをしようとしている瞬間でしょうか。

「アングロ=ジャパニーズ様式」の流行 (前略) この折衷的な様式は、テキスタイルや壁紙をはじめとする室内の調度から陶磁器・銀器、子供向けの本にいたるまで、ありとあらゆる産業製品のデザインに応用され、1870年代にかけて幅広い分野で流行した。そして1880年代までに、「アングロ=ジャパニーズ様式」で多用された「ひまわり」や「孔雀の羽根」といったモティーフが、感性に訴える表現を追求する「唯美主義運動」と密接に結びつけられるようになる。(中略) 1872年生まれのビアズリーは、こうした時代の雰囲気が色濃く残るなかで成長し、英訳版『サロメ』の挿絵にも流行の調度を描き入れた。

ロイヤル・ウースター社 祥瑞風吉祥文双耳扁壺 1890年頃 磁器 三菱一号館美術館

ロイヤル・ウースター社 祥瑞風吉祥文双耳扁壺 1890年頃 磁器 三菱一号館美術館

ジャポニスムの影響下で、ロイヤル・ウースター社は競合他社に先んじて、日本的な様式の陶磁器を量産する方法の開発を進めた。

ブルーを基調にした模様の連なりに、金色の吉祥文が施され、一際目を引く素敵な壺でした

『イエロー・ブック』 19世紀末のイギリスを代表する文芸雑誌。1894年4月、ジョン・レインとエルキン・マシューズが共同経営する書店ボドリー・ヘッドから創刊された。(中略) 『サロメ』の挿絵をめぐる確執に辟易へきえきしていたビアズリーは、ワイルドが関与しないことを条件に美術編集を引き受けている。しかし、1895年にワイルドが同性愛の科で有罪になると、無関係のビアズリーも編集から外される憂き目にあう。

同性愛の科で有罪とは驚く話です。ビアズリーが編集から外された真の理由とは一体何でしょう。

【6月29日追記】『日曜美術館』を視聴しました。学芸員さんの解説によると、告訴されたワイルドがたまたま手にしていたのが黄色い本。世間の人々はイエロー・ブックを連想。更に、サロメのビアズリーへと連想が働き、そうした世間の批判を恐れた出版社がビアズリーを解雇した(主旨)そうです。

『イエロー・ブック』第1巻・第2巻・第4巻 ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館  

左:『イエロー・ブック』第1巻 1894年4月           中:『イエロー・ブック』第2巻 1894年7月          右:『イエロー・ブック』第4巻 1895年1月   
何れもヴィクトリア・アンド・アルバート博物館  
    

『イエロー・ブック』出版案内書の表紙 1894年 ペン、インク、ウォッシュ/紙 ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館  

『イエロー・ブック』出版案内書の表紙 1894年 ペン、インク、ウォッシュ/紙 ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館

夜の書店で女性客を見張るピエロのような店主は、レインの共同経営者マシューズを模している。(中略) この創刊号は反響を呼び、発売開始から約1週間で2回も増刷された。

1週間で2回も増刷とは異例ですね。マシューズを揶揄するビアズリーの意図が大衆受けした側面もあるのでしょうか。ゴージャスな衣装に身を包んだ女性であれば上客だと思いますが、万引きを警戒しているのかな。マシューズが懐疑心の強い人物であることを暗喩しているようでもあり…。

次に、デフォルメされた作品をご紹介しましょう。

モルグ街の殺人『エドガー・アラン・ポー作品集』[刊行中止]の挿絵 1894年頃 ライン・ブロック Kコレクション

ビル上階で起こった殺人事件の真相を描く。

モルグ街の殺人『エドガー・アラン・ポー作品集』[刊行中止]の挿絵 1894年頃 ライン・ブロック Kコレクション

黒猫『エドガー・アラン・ポー作品集』[刊行中止]の挿絵 1894年頃 ライン・ブロック Kコレクション

息たえた女性の頭上に恐ろしい形相の黒猫をすえ、白黒の対比によって衝撃の大きさを示した。

黒猫『エドガー・アラン・ポー作品集』[刊行中止]の挿絵 1894年頃 ライン・ブロック Kコレクション

ポーの小説を独自に解釈した4点(うち2点を掲載)。作品集の刊行が中止となり、ポートフォリオとして発表された。

10代の頃、漫画家/萩尾望都さんの全盛期でした。名作『ポーの一族』のタイトル並びに登場人物「エドガー」「アラン」が『エドガー・アラン・ポー』から命名されたことを知り、妙に感心したことを記憶しています。

アヴェニュー劇場公演の宣伝ポスター 1894年 リトグラフ(多色) ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館

ジョン・トドハンターの「ため息の喜劇」(1894)とW.B.イェイツによる「心願の郷」(1894)の上演に際して、女優フローレンス・ファーの依頼で制作された。

アヴェニュー劇場公演の宣伝ポスター 1894年 リトグラフ(多色) ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館

濃紺の背景に浮かび上がる露出した肌。髪やドレスは白色の描線で表現されています。黄緑色のドット柄がモダンな印象。

T.フィッシャー・アンウィン社刊「子供の本シリーズ」の宣伝ポスター

児童文学書の宣伝のために制作された。(中略)左側の矩形にビアズリーが描いたのは、児童文学の対象年齢からは大きく外れた、成熟した女性であった。

T.フィッシャー・アンウィン社刊「子供の本シリーズ」の宣伝ポスター

児童文学の対象年齢からは大きく外れた成熟した女性を描いて、没にならなかったことが不思議。

順路に従って、3階展示室から廊下へ。建物の外観も素敵。

以上、撮影することのできた展示作品からランダムに取り上げてみました。

新しい私に出会う、三菱一号館美術館
JR東京駅徒歩5分。赤煉瓦の建物は、三菱が1894年に建設した「三菱一号館」(ジョサイア・コンドル設計)を復元したもの。コレクションは、建物と同時代の19世紀末西洋美術を中心。

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