上野/国立西洋美術館で10月初旬まで開催。《Picasso ピカソの人物画》展を鑑賞しました。

展覧会

冒頭は、版画素描展示室のエントランスです。

6月28日から10月5日まで、新館2階/版画素描展示室において《ピカソの人物画》展が開催されています。本展は常設展の順路に組み込まれているため、常設展チケット(一般500円)を購入すると観覧できます。

展示作品は全て撮影可(だったと思います)。印象に残った作品をご紹介しましょう。

女性の肖像(クラーナハ(子)に基づく)  1958年 リノカット 国立西洋美術館所蔵 井内コレクションより寄託

1958年、ピカソは画商ダニエル=アンリ・カーンヴァイラーから、ドイツ・ルネサンスの画家ルカス・クラーナハ(子)による《女性の肖像》(1564年)の複製絵葉書を受け取ります。この華麗な女性像に触発されて本作を生み出すために、画家はリノカット(リノリウム版画)で初めて5種類もの多色刷りに試みました。(以下、割愛)

女性の肖像(クラーナハ(子)に基づく) 1958年 リノカット 国立西洋美術館所蔵 井内コレクションより寄託
[参考] ルカス・クラーナハ(子)による《女性の肖像》(1564年)

2作品の画像を比較すると、似て非なるものですね。モティーフも配色も良いなぁ…と思いつつ鑑賞しました。実物はより素敵です。

1 友人たちの肖像

1895年に家族でバルセロナに移り住んだピカソは、やがて美術教師の父親が奨励したアカデミックな教育と決別し、1899年からカフェ「四匹の猫」に出入りするようになります。(中略) 1900年2月、ピカソはここで初めての個展を開催します。(中略) 画家ラモン・カザスに対抗して、ピカソもまた約150点もの肖像デッサンを展示しました。カザスがバルセロナの社交界の名士たちを描いたのに対し、ピカソがモデルとしたのは自身の芸術家サークルの友人や知人―その多くは無名のボヘミアンたちでした。(以下、割愛)

リュイス・アレマニの肖像   1899−1900年 グアッシュ・木炭/紙 国立西洋美術館所蔵 井内コレクションより寄託

リュイス・アレマニの肖像 1899−1900年 グアッシュ・木炭/紙 国立西洋美術館所蔵 井内コレクションより寄託

十代の頃の作品。モデルとなった男性は、捉えどころのない雰囲気を纏っていますね。瞳には強い意志が宿っています。デッサンする際の優先事項は、人間の内面を表現すること?既に只者ではありません。

「四匹の猫」での展覧会パンフレット  1897年 国立西洋美術館所蔵

「四匹の猫」での展覧会パンフレット 1897年 国立西洋美術館所蔵

2 周縁化された人々へのまなざし

(前略) ピカソはバルセロナとパリを行き来する生活の中で、最初の独自の様式の確立へと向かいます。暗い青色が絵画を支配したことから一般に「青の時代」と呼ばれるこの一時代は、親友の画家カルラス・カザジェマスの自殺を一つの契機に、貧困や孤独に苦しみながら社会の底辺を生きる人々が繰り返し描かれました。(以下、割愛)

貧しき食事 1904年(1913年刷り) エッチング 国立西洋美術館所蔵

ピカソの最初の本格的な版画作品にして、彼の初期の代表作です。聖と俗の共生は「青の時代」に通底するテーマですが、本作においても、男女の前に置かれたパンとワインがキリスト教の典礼である聖餐を想起させる一方、人物の痩せ細った体と虚ろな表情からは、貧困とアルコール依存症の悲惨さを読み取ることもできるでしょう。(以下割愛)

貧しき食事 1904年(1913年刷り) エッチング 国立西洋美術館所蔵

衝撃的な作品。極貧生活にあってアルコール依存症。負の連鎖から抜け出すことのできない厳しい現実が、生気を感じさせない男女から伝わってきます。二人の骨張っている腕・指が異様に長く、悲惨さと共に気味の悪さを感じます。

3 キュビスムの幾何学的身体

(前略) そして翌年(1908年)にはジョルジュ・ブラックとともに、全く新しい絵画の方法を追求する「キュビスム」の実験を開始します。この時代、ピカソの人物像は、非人間化と言えるほどの幾何学的抽象化が極限まで推し進められました。(以下、割愛)

レオニー マックス・ジャコブ著『聖マトレル』より 1910年(1911年刊) エッチング 東京国立近代美術館所蔵

レオニー嬢 マックス・ジャコブ著『聖マトレル』より 1910年(1911年刊) エッチング 東京国立近代美術館所蔵

アップにしたかのようなヘアスタイル、丸みのある臀部から、モティーフとなった人物の性別は女性。ここまでは理解できます。直線・曲線・影の組み合わせで人物を表現するとは!!

男の頭部 1912年 エッチング 国立西洋美術館所蔵

本作は、1911年夏から1912年夏によく描かれた、口ひげをつけパイプをくわえた男性の頭部と思われます。その主題が一見判別不可能なほど、分析的キュビスムに顕著な対象の解体と抽象化が進められています。(以下、割愛)

男の頭部 1912年 エッチング 国立西洋美術館所蔵

キャプションを読んでも尚、ちんぷんかんぷんです。

4 バレエ・リュス

(前略) 1916年、ピカソは当時パリで一世を風靡していたバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)の演目『パラード』の舞台美術と衣装デザインを引き受けます。1917年5月に『パラード』がスキャンダラスな成功を収めた上、ピカソがダンサーの一人、オルガ・コクローヴァと結婚したことで、彼はバレエ・リュスの中心的な芸術家となり、共同制作は約10年間続きました。(以下、割愛)

道化師 1918年 鉛筆/紙 国立西洋美術館所蔵 井内コレクションより寄託

(前略) 1916年に画家がサーカス小屋を舞台にしたバレエ『パラード』の仕事を引き受け、翌年イタリア滞在中にナポリでコメディア・デラルテの伝統を引き継ぐ大衆演劇を見たことで、この時期、とりわけピエロとアルルカンがピカソの作品に再び登場するようになります。(以下、割愛)

道化師 1918年 鉛筆/紙 国立西洋美術館所蔵 井内コレクションより寄託

たまに拝見するピカソ作品は油彩画が多く、『鉛筆・紙』で制作した作品は新鮮です。当初は、道化師の上半身を入念に描くつもりだったのでしょうか。

✧『バレエ・リュス公式プログラム』1920年12月 国立西洋美術館研究資料センター所蔵

本冊子は、1920年12月にパリのシャンゼリゼ劇場で上演されたバレエ・リュスの公演の公式プログラムで、バレエ専門の月刊誌『ラ・ダンス』特別号として刊行されたものです。表紙には、ピカソによる『パラード』の衣装デザイン画の複製が掲載されています。(以下、割愛)

『バレエ・リュス公式プログラム』1920年12月 国立西洋美術館研究資料センター所蔵

舞台美術・衣装デザインを手掛けていた時期があったとは、本展を覗くまで存じませんでした。このカラフルで楽しそうなデザインを拝見すると、公演も人気を博して首尾よく終えたのではないか、と思う次第です。

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感想(7件)

5 古典古代への憧憬

戦前のキュビスムの追求から一転、1914年に突如として写実的な人物像を描き始めたピカソは、戦中から戦後にかけてフランスの美術界を支配した「秩序への回帰」の傾向に先鞭をつけました。1917年にはバレエ・リュスの仕事でイタリアに滞在したことで、ピカソの古典主義への傾倒は決定的となります。(以下、割愛)

 1921年(1929年刷り) ドライポイント・ビュラン 国立西洋美術館所蔵

《泉》における壺(水瓶)を手にした女性たちのシンプルな長衣や量感ある人体表現は、古代の彫像を想起させます。

泉 1921年(1929年刷り) ドライポイント・ビュラン 国立西洋美術館所蔵

こんこんと湧く泉を想像しましたが、注ぎ口があります。水を壺に入れる女性、掌に受ける女性、順番を待つ女性がモティーフでしょうか。横長の画面に三人を並べる関係上、右側の女性をやや屈ませるように構図を決定したようですね。

三人の女 1922年 エッチング 国立西洋美術館所蔵

女性たちの顔つきはどこか現代風ではあるものの、古代神話に登場する「三美神」の図像を参照しているのは明らかです。

三人の女 1922年 エッチング 国立西洋美術館所蔵

ミステリアスで素敵です。果たして、過去に制作されたどなたの作品からインスピレーションを得たのか、気になるところです。左端の女性は一見男性のよう。顔周辺の陰影を強調しているためか、三人の個性が際立ちます。

夜、少女に導かれる盲目のミノタウロス 1934年(1939年刷り) アクアティント 国立西洋美術館所蔵 井内コレクションより寄託

(前略) 古代ギリシャ神話に伝わる牛頭人身の怪物ミノタウロスは、シュルレアリスムへの共鳴を背景に、獣性と人間性を併せ持つ存在として様々な姿で作品に登場します。

杖をついた盲目のミノタウロスが、鳩を抱く少女に導かれながら闇夜の海辺を放浪し、一人の青年と船上の二人の漁師がその情景を静観しています。本作においてピカソは、ミノタウロスと、ギリシャ神話のオイディプス(意図せず実の父親を殺し、母親を妻にした二重の罪への罰として自ら盲目となり、娘に導かれ放浪の旅に出た悲劇の王を重ねているようです。(以下、割愛)

夜、少女に導かれる盲目のミノタウロス 1934年(1939年刷り) アクアティント 国立西洋美術館所蔵 井内コレクションより寄託
夜、少女に導かれる盲目のミノタウロス 部分

真っ先に視線が向かうのは、牛頭人身のミノタウロス。右手を少女の肩に置いて左手で杖を握るミノタウロスは、顔を上向ける姿勢も含めて、盲目であることが端的に表現されています。ミノタウロスも他の人物も、顔は大きく下半身は短く描写されています。静観する一人の青年船上の二人の漁師との位置関係が特徴的です。青年−少女−ミノタウロス−漁師(一人)は殆ど横に並び、画面いっぱいに表現されています。よくよく拝見すると、近景に青年、中景にミノタウロスと少女、遠景に二人の漁師を配した構図です。

6 親密な肖像

1927年、ピカソはパリの街角で当時17歳のマリー=テレーズ・ワルテルと出会います。「きみは面白い顔をしているね。きみの肖像画を描いてみたい。」マリー=テレーズの回想によれば、ピカソは彼女にこう声をかけたといいます。ピカソのアトリエを訪れ、彼のモデルを務めるようになったマリー=テレーズは、ほどなくして画家の愛人となります。(以下、割愛)

1928年 リトグラフ 国立西洋美術館所蔵

(前略) 早くも、画家を魅了したこの新たな恋人の鼻筋の通った「ギリシャ風の横顔」が登場します。大胆なクローズアップの構図は、モデルの顔のほんの一部を観者に垣間見せるも、その全体像は明かさず、彼女を包む影と相まってミステリアスな雰囲気を助長しています。(以下割愛)

顔 1928年 リトグラフ 国立西洋美術館所蔵 

18歳未満の未成年を愛人にするなど現代なら犯罪ですが、当時の倫理観は緩かったのでしょうか。約30歳の年齢差を乗り越えてしまう男女。この大人びた美少女のデッサンに限っては、殊更時間をかけ、丁寧に制作しているようですね。

ヘアネットの女性 1949年 カラー・リトグラフ 国立西洋美術館所蔵 井内コレクションより寄託

モデルは若き画家で、1943年にピカソと出会い、1946年から53年まで彼と生活をともにしたフランソワーズ・ジローです。《ヘアネットの女性》では、彼女の顔はほぼ左右対称の正面観で、いくぶん再現的に描かれている一方、丸みを帯びた髪と衣服は装飾的に処理されています。

1946年春、ピカソは若々しい活力と絵画への情熱に満ち溢れたフランソワーズを「成長す植物」とみなし、彼女の肖像を花に見立てて描きます。(中略) このリトグラフにおいてもまた、フランソワーズの髪は鮮やかな緑色で、植物的なアラベスクの模様が施されています。(以下、割愛)

ヘアネットの女性 1949年 カラー・リトグラフ 国立西洋美術館所蔵 井内コレクションより寄託

衣服の辺りを拝見すると、東京都美術館で今春鑑賞したミロ作品が頭をよぎります。一方、モデル/フランソワーズの顔は、そこまで極端に加工されず、美しい女性であったことが窺えます。

窓辺の女性 1952年 アクアティント 国立西洋美術館所蔵 井内コレクションより寄託

モデルは若き画家で、1943年にピカソと出会い、1946年から53年まで彼と生活をともにしたフランソワーズ・ジローです。(前出)

横向きで表された《窓辺の女性》は、キュビスムに由来する幾何学的な面に分割されています。

窓辺の女性 1952年 アクアティント 国立西洋美術館所蔵 井内コレクションより寄託

本作こそピカソの真骨頂でしょうか。常識では語れない才能…。

7 戦時下の肖像

第二次世界大戦の勃発とともに多くの前衛芸術家が亡命や疎開を選んだのに対し、ピカソはナチス・ドイツに占領されたパリに留まり、過酷な状況下で制作を続けました。(以下、割愛)

小さな丸帽子を被った座る女性 1942年 油彩/カンヴァス 国立西洋美術館所蔵 井内コレクションより寄託

暗い色調や歪な身体表現が戦時下の抑圧的で重苦しい状況を反映する一方、ドラの強いまなざしと大きな手、洗練された装いで肘掛け椅子に堂々と座る姿は、抑圧の中でも失われることのない人間の尊厳や抵抗を象徴しているかのようです。(以下、割愛)

小さな丸帽子を被った座る女性 1942年 油彩/カンヴァス 国立西洋美術館所蔵 井内コレクションより寄託

タイトルになっている小さな丸帽子があまり目立ちません。派手な紫色に塗った《肘掛け椅子に座る女性》の方がしっくりくるような気がします。顔の左右非対称はピカソの得意とするところ。グローブのような大きな手も印象的です。

8 戦後の様式化された頭部

(前略) ピカソは自らの生活環境と芸術を刷新すべく、戦後の拠点を南仏に移し、陶芸のような新たなジャンルや、美術史上の名作に基づく連作のような新たな主題にも挑戦しました。一方で、人間の顔や身体の表象そのものに対するピカソの強い関心は戦前から一貫しており、とりわけ女性の頭部や胸像における表現の可能性を探究し続けました。(以下、割愛)

赤い胴着 1953年 油彩/カンヴァス 国立西洋美術館所蔵 井内コレクションより寄託

モデルは若き画家で、1943年にピカソと出会い、1946年から53年まで彼と生活をともにしたフランソワーズ・ジローです。(前出)

正面観の頭部に、前向きと横向きの目が組み合わされ、鼻と口も別々の方向に歪められています。

赤い胴着 1953年 油彩/カンヴァス 国立西洋美術館所蔵 井内コレクションより寄託

解説を読まないことには、《ヘアネットの女性》《窓辺の女性》《赤い胴着》のモデルが同一人、という事実に気が付かないでしょう。本作の顔はとりわけ鑑賞者の目を釘付けにしますね。

9 「画家とモデル」

1961年、80歳を手前にジャクリーヌ・ロックと再婚し、終の棲家となる南仏ムージャンに移り住んだピカソは、アトリエという閉ざされた世界に引きこもるようになります。そのような隠遁生活と軌を一にして、ピカソ最晩年の作品群は、自らの原点や芸術創造の根源的な問題と向き合う、より内省的なものとなっていきました。(以下、割愛)

アトリエのモデル 1965年 油彩/カンヴァス 国立西洋美術館所蔵 梅原龍三郎氏より寄贈

アトリエのモデル 1965年 油彩/カンヴァス 国立西洋美術館所蔵 梅原龍三郎氏より寄贈

本作のモデルとなった女性は実在したのでしょうか。ここまでデフォルメするなら、想像で描けると思いますが…。あぐらをかいて座る女性の陰部まで描いています。両腕で頭を支えるポーズかと想像しますが、手足が極端に大きいですね。座る椅子を描いた視点は上でしょうか。

男と女 1969年 油彩/カンヴァス 国立西洋美術館所蔵 梅原龍三郎氏より寄贈

(前略) ピカソ芸術の原動力となった「愛」と、人間の溢れんばかりの生命力を体現した、老年のピカソの境地を示す人物像です。

男と女 1969年 油彩/カンヴァス 国立西洋美術館所蔵 梅原龍三郎氏より寄贈

90歳近くなって尚、熱量が半端ではありません。混沌とした画面。いずれが男か、それさえ定かではありません。塗り残しも散見されますが、大御所が仕上げた作品に、そんな次元の感想を持ち込んだら野暮でしょうね。

1968年3月29日Ⅰ 1968年 エッチング 国立西洋美術館所蔵 山本英子氏より寄贈

(前略) スペイン風の衣装を着た画家は、エル・グレコの絵画の登場人物を想起させます。

1968年3月29日Ⅰ 1968年 エッチング 国立西洋美術館所蔵 山本英子氏より寄贈

画面右半分を占める女性は、モデルさんではなく、画家がキャンパスに描いている絵のようですね。

1968年5月16日 Ⅵ 1968年 エッチング・ドライポイント 国立西洋美術館所蔵 山本英子氏より寄贈

本作は、《1968年3月29日 Ⅰ》とともに、1968年3月から10月にわたり制作された347点に及ぶ銅版画連作〈347シリーズ〉の一点で、ここに付されたタイトルは制作された日付を表しています。

画面は、ベラスケスやレンブラントの絵画から抜け出してきたような扮装の男性たちや裸婦、現代風の女性の頭部など雑多な人物像で埋め尽くされています。(以下、割愛)

1968年5月16日 Ⅵ 1968年 エッチング・ドライポイント 国立西洋美術館所蔵 山本英子氏より寄贈

なるほど、多くのモティーフが異なる筆致で描かれています。モティーフも全身であったり、顔だけであったり。ひょいと隙間から登場する人物には面白みがありますね。

以上、印象に残った展示作品をご紹介しました。所要時間の目安は30分。《ピカソの人物画》展は10月5日まで。

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