目黒区/旧前田家本邸(洋館)を見学しました。(2025年/初夏)

重要文化財

旧前田家本邸 旧前田家本邸は、旧加賀藩主前田家16代当主の侯爵 前田利為侯まえだとしなりこう(1885−1942)の居宅として昭和3年から昭和5年にかけて建設されました。(中略) 洋館は家族の生活の場であるとともに迎賓館としても利用できるよう、和館は外国からの賓客に日本文化を伝える空間として設計されました。(中略) 昭和17年に太平洋戦争に出征していた利為侯が戦死した後、邸宅は中島飛行機の手に渡ります。戦後はアメリカ極東軍空軍司令官の官邸として連合国軍に接収され、内装などに一部改変が加えられました。接収解除後は国と東京都の分割所有となり、現在は目黒区立駒場公園として敷地と和館は目黒区が、洋館は東京都が管理しています。(以下、割愛) ―パンフより一部引用―

公共交通機関を利用する場合、行き方は数通りあります。私は京王井の頭線を利用しました。駒場東大前駅(西口)で下車。徒歩8分ほどで、駒場公園内にある旧前田家本邸に到着します。

駒場公園正面入口

到着するはずなのですが、駒場公園/南口を見つけることができず、道行く人に尋ねては右往左往。結局、駅とは反対側の正面入口から入園しました。道なりに進むと、左手前方に洋館が現れます。

洋館の外観

洋館 重要文化財(建造物) 平成25年(2013)8月7日指定

留学や駐在武官としてヨーロッパ滞在の長かった前田利為侯爵は、駒場本邸(洋館)を内外の賓客をもてなすにふさわしい邸宅として、昭和4年(1929)に竣工しましたが、当主一家の住居でもありました。設計は高橋貞太郎です。鉄筋コンクリート造地上2階・地下1階建で、当時最新の設備を取り入れる一方、外観はイギリス貴族の館であるカントリー・ハウス風の意匠とし、伝統的で重厚なイギリスのチューダー様式でまとめています。(以下、割愛)

※詳述しているサイトを見つけたので、リンクを貼っておきます⇓

チューダー様式 建築物と家具 | 【世界基準の品質】英国アンティーク家具専門販売店|ケントストア | 30年の歴史と修理
ヘンリー7世からエリザベス1世までのチューダー朝時代。イギリス絶対王政の全盛期でありヨーロッパの大国へと成長した時代でもありました。チューダー朝の時代に存在したチューダー様式はそれまでのゴシック様式、イタリアのルネサンス様式の影響を受けイギ...

エントランスへ向かいます。

洋館のエントランス

見学料は無料です。館内の撮影可(一定の制約あり)。土足厳禁。備え付けのビニール袋に履物を入れて携帯します。受付時に「館内は自由に見学できますが、館内ガイドも利用できます」(主旨)という説明がありました。館内ガイドの次の開始時刻まで15分ほど。その間に1階各部屋を巡り撮影しました。尚、紫色の文字で表記した箇所は、パネル等の解説から(一部)引用しております。

手前から横並びに、第一応接室サロン小客室大客室があります。階段広間の奥に大食堂、その隣に小食堂があります。

第一応接室 侯爵夫人や令嬢のお客様が通されていた応接室です。白いタイルでできた背の高いマントルピースが特徴で、床の寄せ木細工も華やかさを添えます。(以下、割愛)

第一応接室

階段広間に戻ったら、第一応接室で、数名の来館者がガイドさんの元に集合していました。私も急ぎ参加しました。ガイドさんは手にした数枚の拡大写真を参加者に見せながら、洋館の沿革から特徴まで、詳細に解説していきます。(第一応接室に限らず、)屋敷内部の壁面には金唐紙※が施されていたそうですが、終戦後GHQに接収された際、真っ白に塗り替えられてしまったそうです。

※金唐紙の装飾について詳述しているサイトを見つけたので、リンクを貼っておきます⇓

金唐紙研究所 | 江戸東京きらりプロジェクト

ガイドさんの詳しい説明は続きます。「備え付けの暖炉は装飾です。暖房は、地階で温められた蒸気が、部屋の吹出口から出る仕組みになっています」(主旨)とのこと。

サロン 玄関ホールに続く、お客様を最初にお通しする待合です。意匠も玄関ホールと共通し、大きな梁を見せる天井と、黒緑色の大理石のダブルの柱が重厚さを演出します。(中略) 南庭に面して、全面にカットガラスをはめた扉としています。

サロン

ガイドさんの説明によると、マントルピースの上に備え付けられた鏡も装飾のひとつ。鏡の中に、窓枠と共に、天井の大きな梁も映り込んでいますね。この鏡と90度の左側壁面に、当時の呼び出しボタンが残っています。

ボタン(上のボタンに、下のボタンにと表記されています)

ガイドさんの説明なしに、この2つの小さなボタンに気が付く来館者は先ずいないでしょう。上のボタン()を押すと従者(異なる呼称だったかも…)の部屋へ、下のボタン()を押すと女中溜まり(異なる呼称だったかも…)へ繋がるようになっていたそうです。この呼び出しボタンが残るのはサロンのみ。当時は各部屋に備え付けられていたそうです。例えば、サロンで()ボタンが押されると、女中溜まりの壁面に並ぶ各部屋のうち『サロン』が点灯する仕組み。ドラマ『ダウントン・アビー』をふと連想しました。

イングルヌック 暖炉脇の暖かな小さなスペースをイングルヌックといいます。ここでは、大階段下の窪みを利用した小さな談話室のような空間で、マントルピースとステンドグラスの窓を備え、造り付けソファの背上に三連アーチの飾り棚を設けています。

イングルヌック

当時はティー・テーブルが置かれ、親しい訪問者との会話を楽しんだそうです。

小客室 大客室と続き間となっていて、必要に応じて引戸で仕切ることが出来ます。大客室とはシャンデリアや壁紙の意匠を揃えますが、マントルピースは小振りで明るい色調の大理石を用います。(以下、割愛)

小客室

キャプションにある通り、シャンデリア・壁紙は大客室と統一されています。

大客室 お客様にくつろいで過ごしていただくための部屋で、部屋のそこここに座り心地の良いソファーやティーテーブルが配され、室内には絵画や美術品、珍しい観葉植物などが飾られていました(以下、割愛)

大客室の窓際

大客室の扉⇓と小客室の扉(画像はありません)の比較にもガイドさんが言及。大客室の扉は天井近くまであり、装飾も施され、小客室より格式が上であることが見てとれる(主旨)とのこと。大客室の扉は、より重厚で豪華でした。

大客室

(ピアノの左手に写る)エアコンの吹出し口/透かし模様について、ガイドさんから説明がありました。この透かし模様の中に、前田家の家紋=加賀梅鉢が混じっているとのこと。かがむと視認できます。

加賀梅鉢を加えた透かし模様

私が撮影した画像⇑では5箇所認められます。加賀梅鉢についての記述を見つけたので、リンクを貼っておきますね

加賀梅鉢紋(かがうめばち):家紋のいろは
加賀梅鉢紋は、『梅鉢紋』の5枚の花弁と花弁の間に蘂として剣をつける。加賀藩前田家の家紋の家紋ということで『加賀梅鉢』と呼ばれる。

大食堂 晩餐会のための部屋で、最大で26人のディナーが可能であったといいます。巨大な白大理石のマントルピースが部屋の中核で、その周囲を古典的な文様の金唐紙で飾ります。マントルピースの向かいは円弧状の張り出し窓があり、天井に及ぶチーク材のパネル壁が落ち着いた雰囲気を醸します。

大食堂

マントルピース周りの金唐紙は唯一、当時の面影を留めています。ガイドさんの説明によると、晩餐会で交わされる会話を考慮して、チーク材のパネル壁を採用したそうです。帰宅後にネット検索したところ、木材には吸音性があり、室内に木材を使用すると、不快な雑音が吸収され、音がまろやかになるとのこと。

大食堂 マントルピース、金唐紙の装飾
大食堂の窓際

大食堂のカーテン柄は、万人に好まれそうなウィリアム・モリスですね。カーテン・絨毯は、改修時、当時と近い雰囲気になるよう厳選されたようです。

小食堂 家族のための小食堂です。東庭にテラスを張り出し、全面にカットガラスをはめた扉にしています。壁一面に食器棚が設えられ、部屋の隅には地下の厨房から料理を運ぶための小型エレベーターがありました。

小食堂

ガイドさんの説明を聞いて一番驚いたこと。⇑左側の食器棚は、実は食器棚ではなく、地下の厨房から料理を運ぶための小型エレベーター!!だそうです。 先にご紹介した洋館の解説文に当時、最新の設備を取り入れたとありましたが、まさに!

小食堂 食器棚

反対側の壁面は、造り付けの食器棚です。

前田家で使われていた銀食器 前田家の晩餐会などで使用された銀食器類は、英国王室御用達のマッピン・ウェッブ社にて誂えられました。マッピン・ウェッブ社は、1775年にイギリスのシェフィールドで創業された銀製品・宝飾品メーカーで、現在も世界各国の王室で愛用されています。

大食堂との通路を挟んで、造り付けの食器棚の並びにあるガラスケース内にカトラリー・セットが展示されています。

カトラリー・セット

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感想(52件)

1階の見学を終え、階段を上がって2階へ。真っ先に視界に入ってくる大きな部屋が長女居室。ベランダ側には、書斎次の間次女居室夫人室寝室が横並びに配置されています。階段広間を挟んで、長女居室の反対側に三女居室があります。

ここで、前田 利為侯としなりこうのご家族について簡単に触れておきましょう。来館時に配布されるパンフに詳しく掲載されていますが、引用すると長文になりますので、そのパンフから要約&抜き書きしました。

旧七日市藩前田家に生まれた利為侯は、本家の旧加賀藩前田家15代利嗣侯爵に後継とすべき男子がなかったため養嗣子となり、16代当主として16歳で侯爵を襲爵。6年後、利嗣氏の長女と結婚。男子誕生。利為侯は、前田利家公以来の武人としての家格にならい、軍人として要職を歴任。若い頃からヨーロッパ諸国を歴訪し、幅広い見識で外交に手腕を発揮。滞欧中に夫人が病死。のちに旧姫路藩酒井忠興伯爵の次女菊子と再婚。一男三女に恵まれました。

長女居室 第一客用寝室として計画されましたが、長女の居室として使われました。2室に仕切ることもできる広い部屋です。(以下、割愛)

長女居室

調度品が殆どないため、ガランとした印象。個人の居室にするには大き過ぎる部屋です。

次の間 書斎の前室で、内装も書斎とほぼ同じです。洋間の造りに合わせた床の間を備えています。(以下、割愛)

次の間

2階の主要な部屋に踏み入ることはできませんが、この次の間には入室できます。書斎に前室を設ける発想には驚かされました。ガイドさんの説明によると、絨毯が敷かれた部分の床は、絨毯の厚み分下げられ、段差をなくす工夫が施されているとのこと。

書斎 利為侯の書斎で、邸内で最も重厚な雰囲気の部屋です。マントルピースのグリルには龍が浮き彫りにされ、ここが高貴な人物の部屋であることを示します。壁はチーク材のパネルと金唐紙で装飾され、天井もチーク材の鏡板を用い、床は寄木モザイクに絨毯を敷き込みます。机の背後には書棚が造り付けられています。

書斎
書斎 調度品

ガイドさんのお話によると、机も応接セットも、利為侯が当時愛用されていた実物。この応接セットは元々1階にあった、と説明されていたかもしれません。うろ覚えで申し訳ない。壁に飾られた肖像画は菊子夫人だそうです。

次女居室 書斎の附属室(図書室)として計画された部屋で、壁一面に書棚が造り付けられています。青いタイルのマントルピース、天井の星形の中心飾り、十二角形の変わった意匠のシャンデリアが特徴的です。

次女居室
天井の星形の中心飾り、シャンデリア

書斎のシャンデリアを見学した後、このシャンデリアを拝見すると、シックな印象。

夫人室 菊子夫人の居間で、家族団欒の場でもありました。鏡付きの優美なマントルピースには小菊模様のグリルをはめ、三連アーチの窓や格子天井もやさしい雰囲気です。カーテンや絨毯は紫色で、壁紙も華やかなダマスクの大柄を用い、邸内でもっとも華麗な部屋であったといいます。

夫人室

ゴージャスな部屋です。採光も充分。家族団欒の場として居心地の良い空間だったことでしょう。

夫人室 絨毯

ガイドさんのお話によると、夫人室の絨毯のみ、当時使用されていた実物だそうです。高貴な紫色!

寝室 侯爵夫妻の寝室で、壁紙は金銀の色彩です。枕元の壁龕へきがんには前田家当主の守り刀が置かれており、その両脇の小窓は透かし彫りを施した豪華なものです。ベッドやキャビネット等の家具の多くは、ロンドンの高級家具店であるハンプトン社で誂え、船で送られました。

寝室
寝室 ベッド、調度品

壁龕には前田家当主の守り刀が置かれておりという逸話は、キャプションで読むより先にガイドさんから聞きました。前田利家公を祖とするお家柄だけあって、高い精神性を窺うことができます。

寝室の窓際

浴室 手前が洗面室、奥がバスタブと様式トイレを備えた浴室でした。地下1階のボイラー室からお湯を供給することが出来、スチーム暖房も完備されていました。

浴室、洗面室

居室とのギャップを感じるほどに、水回りは簡素です。

三女居室 菊子夫人のための化粧室で、広い押入が2つ付属していました。そのためかラジエーターグリルのみでマントルピースはありませんでした。円弧状の張り出しに三連アチの窓を配した優美な部屋で、天井の縁廻しシャンデリアも優美なものです。のちに、三女の居室として使用されました。

三女居室

調度品が全くないので、やや殺風景に感じます。ベビーベッドが置かれていた当時の写真パネルが展示されていました。0歳時から個室が割り当てられていたとは驚きです。

三女居室の隣は、広い展示室。その裏側の廊下に設けられたガラスケース内には、金沢の伝統工芸品が展示されています。

金沢の伝統工芸品

廊下の突き当たりに、こじんまりとした女中室が2つありました。ガイドさんの話では、金沢の名家の娘さんが行儀見習いの一環として、住み込みで働いていたそうです。名家の令嬢が暮らす部屋としては、あまりに質素でした。

廊下

2階には、他に集会室・会議室・従者室・図書室があります。

洋館の見学に要する時間は1時間強です。(時間の都合で、和館の見学はしておりません。和館を含めた所要時間は判りません。)

『駒場ガイドの会』ボランティアの解説付きで小一時間、館内を見学。お陰様で理解が深まりました。お話を注意深く聞いていたつもりですが、当ブログの記述に記憶違いが1つ2つあったのではないかと心配です。もし間違いがあったらご容赦ください。ちなみに、ガイドは30分おきに設けられていました。(開始時刻・終了時刻は把握しておりません。)

歴史を訪ねて 旧前田家本邸
昭和4年から5年にかけて、前田家16代当主前田利為侯爵は、駒場の約1万坪の敷地に、地上3階地下1階建ての洋館と、これを渡り廊下で結んだ2階建て純日本風の和館とを相次いで竣工させ、当時東洋一の大邸宅と人々の目を見張らせたものでした。

―余談①― 復路は、駒場公園を突っ切り、南口から駅へ向かいました。振り返ると、南口は神社へ向かう小路のようになっていて、往路では見落としたことが判りました。

―余談②― 駒場公園のベンチで本を読んでいた女性に、南口の方角を尋ねました。そのやりとりの中で親近感を覚え、30分ほどお話をしました。教養豊かな楚々とした方で、まさに一期一会

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