会期は4月23日から5月6日まで。入場料は一般1,200円。展示作品は全て南砺市立福光美術館蔵。巡回展『生誕140年記念 石崎光瑤』の内容を再構成しているとのこと。
展示作品は全て撮影できます。章立ての構成に沿って、印象に残った作品をご紹介しましょう。尚、青色の文字で表記した箇所は、会場のパネルおよびキャプションより一部引用しました。
第1章 画学修業と登山
(前略) 19歳で京都に出て、竹内栖鳳に入門する。栖鳳の指導は光瑤の個性を尊重するものであり、画塾では実物写生や古画の模写、屋外での写生などが奨励され、また栖鳳がヨーロッパから持ち帰った画集などによる自己学習が行われた。入塾の翌年、明治37年に日露戦争のため入営。明治39年には父を亡くして富山に戻る。(中略) 明治44年、再び京都に戻った光瑤は、栖鳳塾で画技を磨き、大正元年(1912)の第6回文展で初入選、大正3年の第8回文展に出品した《筧》(No.11)で褒状を受賞した。
No.11 筧 大正3年(1914) 絹本着色 二曲一双 第8回文展(褒状)
筧とは水を渡し引く掛け樋のこと。全面に豊かに卯の花とユリをあしらい、その中に一本の樋を通すことで、画面に広がりを持たせている。(以下、割愛)

卯の花は見たことがありませんが、満開の桜と見紛うほど華やかですね。


水が樋を滔々と流れる様は、水源に恵まれた土地柄を想像させます。
No.12 森の藤 大正4年(1915年) 絹本着色 六曲一隻 第9回文展

本展の五指に挙げたい作品。会場が百貨店なので、どう工夫しても、非常口誘導灯・照明の映り込みを回避することはできません。

幹に施されたたらし込み(の偶然性)と、端正に描かれた藤とのコントラストも見どころかと思います。

第2章 インドへの旅、新しい日本画へ
大正5年(1916)11月から翌年7月にかけて、光瑤はインドへと渡った。光瑤はインドに赴いた理由を3つ挙げている。まずは熱帯の美しい動植物の魅力。次に古代建築や美術に触れたいとの欲求。そして、ヒマラヤの山々を望みたいとの願いである。(中略) 帰国した光瑤は国展には参加せず、インド旅行の成果として制作した《熱国妍春》(No.21)を第12回文展に発表、特選を受ける。さらに翌年には《燦雨》(No.22)を第1回帝展に出品し、2年連続して官展で特選を受賞、近代京都画壇にその地位を確立していく。(以下、割愛)
大正8年(1919)の第1回帝展で前年に続き特選となった作品《燦雨》(No.22)は、大正5〜6年のインド旅行の成果が結実したものである。激しいスコールに打たれる色鮮やかな花鳥が大画面に横溢し、絵を見る人も金の雨に打たれるような、独特の臨場感が鮮烈な衝撃を与える。(以下、割愛)
No.22 燦雨 大正8年(1919年) 絹本着色 六曲一双 第1回帝展(特選)

光瑤画伯の代表作は、大作でもあり、やはり本展チラシに採用されている本作ですね。

インコが飛ぶ姿を観察するだけでも骨が折れそうです。淡い色のグラデーションが美しいですね。

スコールから逃れようと懸命に飛ぶインコとは異なり、2羽の孔雀は幹に留まって、激しい雨粒を身に受けています。この装飾的な孔雀は、若冲の描く鳳凰にも似て優雅です。

雨を金泥で表現するとは、何と斬新な…。 赤色で塗られた箇所に重ねられた金色の線描が一際映えます。
No.27 雪 大正9年(1920) 画布着色 二曲一双第2回帝展
大原、鞍馬、愛宕に取材した雪景色を描く。右隻の、垂れ下がる枝に積もる雪の表現は、伊藤若冲《動植綵絵》(皇居三の丸尚蔵館)のうち〈雪中鴛鴦図〉などを想起させるが、本作は発表当時から若冲の影響が指摘されていた。(以下、割愛)

縦はゆうに3mあろうかという大作。雪景色は共通していますが、右隻の紺色、左隻の金色が好対照。この2色の組み合わせは美しいですね。


第3章 深まる絵画表現
大正11年(1922)12月から翌年8月にかけて、光瑤はイタリア、フランス、イギリス、オランダ、ドイツ、スペインなどの各国をめぐる旅に出た。さまざまな西洋絵画に接したが、特にフレスコ画に興味を示したという。光瑤は日本・東洋の古画も広く研究したが、伊藤若冲に最も関心を持った。明治45年(1912)の第17回新古美術品展で陳列された若冲の《動植綵絵》(国宝、皇居三の丸尚蔵館)を見て以来、光瑤は若冲に憧れる。(中略) こうした東西の絵画研究を通じて、光瑤の作風は絢爛華麗な色彩美の世界から趣を変え、深みのある洗練された画風へと変化する。(以下、割愛)
No.40 豊穣 昭和5年(1930) 絹本着色 一幅 羅馬日本美術展覧会
白いキジを画面上半分に大きく捉え、下方には黄色の穂を垂らしたアワを描く。(中略) この白いキジも豊穣を象徴する吉祥的なモチーフとして描かれたものであろう。

光瑤の作風は絢爛華麗な色彩美の世界から趣を変え、深みのある洗練された画風へと変化する。ほう、本作の画風は解説通りですね。これぞ余白の美。白いキジが飛翔する姿は神々しいほど。
No.44 惜春 昭和6年(1931) 紙本着色 二曲一隻 第12回帝展
梨とタケノコを描き、その花びらと竹葉を散らすことで地面を表す。中段のカラスは下絵にあった輪郭線がなくなり、黒色に変化をつけることで羽を描き分ける。その背に散りかかる花びらが黒い塊にくっきりと浮かび上がり、一瞬の情景に託された惜春の思いをよく伝える。(以下、割愛)

真っ黒なカラスをモチーフに選ぶとは果敢。なるほど、黒色に変化をつけることで羽を描き分けていますね。感心したのは、ちゃんと空を飛んでいるように見えること。昔、画集でカラスをモチーフにした作品(伝 宮本武蔵作)を拝見。これは宮本武蔵ではないわ…。カラスが今にも落下しそうに見え、脳内で瞬間的に弾いた経験があります。真っ黒な塊を、空を飛んでいるように表現することは相当難しいと思うのです。

第4章 静謐なる境地へ
昭和10年代に入ると、光瑤の作風はさらに変化する。大画面にたっぷりと余白をとり、その中に均整の取れた植物を配し繊細な線で描く。そうした作品は、晩年の大作《聚芳》(No.66)に代表されるように、端正で静謐な雰囲気を醸し出す。(以下、割愛)
No.58 霜月 昭和17年(1942) 絹本着色 一幅
菊は、牡丹などと並んで光瑤がしばしば単独で取り上げたモチーフ。(中略) 花びらの深い色合いが見事だが、繁茂する葉も、少しの曖昧さもなく正確に形が捉えられ、メリハリをつけた彩色で明晰に表される。(以下、割愛)

私の撮影した画像では今一つ伝わらないと思いますが、繁茂する葉も、少しの曖昧さもなく正確に形が捉えられ、メリハリをつけた彩色で明晰に表される。まさにキャプション通り。葉の表現に魅了されます。
No.62 隆冬 昭和15年(1940) 絹本着色 六曲一隻 紀元2600年奉祝美術展
「隆冬」とは真冬のこと。鳥の一群が雪降る中を飛んで行く。前方をオシドリなどカモの仲間が乱れ飛び、その後ろから雁が悠然と羽を広げて飛ぶ。(中略) 当初は1面のパネル装だった。

反対側の展示作品等が映り込んでしまい残念。本作も非常に見応えがあります。本展の五指に挙げたい作品。当初は1面のパネル装だったことを考慮したのか、鑑賞しやすさを優先したのか、屏風の通常の展示形態は採っていませんね。

鳥が連なって飛ぶ、疎と密のバランスが絶妙です。

雁が広げた羽の美しいこと。この雁をモチーフにしたことで、よりスケールの大きい作品に仕上がっていますよね。
No.56 奔湍 昭和11年(1936) 絹本着色 六曲一双 昭和11年文展(招待展)
ごうごうと流れゆく早瀬を描く。光瑤が撮影した写真のなかに、逆巻く水と流木のモチーフがあり、本作はその写真を元にして描かれたもの。(以下、割愛)



この逆巻く水は迫力がありますね。葛飾北斎《神奈川沖浪裏》の波頭を彷彿させます。

No. 66 聚芳 昭和19年(1944) 絹本着色 一幅 平安遷都1150年奉祝京都市美術展
さまざまな種類の牡丹の花が、陶製の器に盛られた様を描く。牡丹の花は百花の王ともいわれるが、晩年の光瑤は牡丹の花の写生に熱中した。(中略) その徹底した写生の成果が、繊細な線描と落ち着いた色彩によって見事に表現される。この静謐な美しさは、光瑤の到達点といえるだろう。


光瑤の到達点といえるだろう。後出しジャンケンのように賛同します。No.58《霜月》同様、遠目には判らないのですが、間近で拝見すると、完成度の高さに感動しますよ。
以上10作品を取り上げてみました。観覧時間の目安は1時間前後。《石崎光瑤》会期は5月6日まで。
![]() | 価格:13000円~ |
