冒頭の写真は那波多目功一『昇陽菊図』(部分)です。
副題は《花と生命へのまなざし》。会期は12月7日から2025年2月24日まで。
那波多目 画伯の作品は、別の美術館で幾度となく拝見しました。卒寿を過ぎた画伯の足跡を辿る貴重な機会とあって、開幕初日となる週末、郷さくら美術館を初訪問しました。入館料は一般800円(『ぐるっとパス』を提示すると無料)。印象に残った展示作品を順にご紹介しましょう。
1階A展示室
さゝ゛波 1994年 郷さくら美術館蔵
河口湖のそばを車で走っていて、ふと見た瞬間の水面に映る陽の光が美しく、車を止めて写生をしました。光の屈折の具合、波の形、それがとてもきれいに見えました。写生には3日位かかり、時間の経過、時の流れも作品の中に入っています。〈那波多目功一〉(キャプション《作家の言葉》より一部引用)
⇑(残念な事に、反対側の壁面に展示されている作品が映り込んでしまうため、掲載を見送ろうかと思いました。)本展の代表作なので敢えて掲載。様々な作品を長年鑑賞してきましたが、自然の景観のうち、水を描く事が一番難しいように思います。那波多目画伯の描く波は美しく穏やか。胡粉の白色が浮くことなく、他の色彩と調和しています。自然界はこんなにも沢山の色に満ちていることを実感します。
惜春 2007年 個人蔵(茨城県近代美術館寄託)
春がもう少し長く続いてくれたなら、もう少し花の青春が、花の命が長らえたものを。過ぎゆく時を惜しみながらの作品となりました。人の人生もまた、同じこと。〈那波多目功一〉(キャプション《作家の言葉》より引用)
東京都美術館《田中一村展》で拝見した数々の「個人蔵」同様、本作の「個人」に対しても羨望が先立ちます。白い牡丹をモティーフにした作品こそ那波多目画伯の真骨頂。本作も、5輪の牡丹花で“時間の経過、時の流れ”を表現していますね。雨に当たればハラハラ散ってしまうであろう、その一瞬を予見させる儚さ。深い背景色にも魅了されます。地面との境界線がやや曖昧ながら、散った花びらが土の存在を示し、安定した構図に一役買っています。
昇陽菊図 1999年 郷さくら美術館蔵
何とか菊の品位が表現できたらと思い、葉の色を抑え、菊の花びら、白の流れを考えました。〈那波多目功一〉(キャプション《作家の言葉》より一部引用)
初見ということもあり、本展で最も感動した作品です。金地と白色の取り合わせが一際映えますね。あでやかな白菊の造形美にも魅了されます。菊の群生を2カ所に配置し、昇る太陽を小さな群生の彼方に配置した構図の巧さ。太陽の右下部分を隠しているのは、山の端でしょうか、雲でしょうか。
寂 1995年 郷さくら美術館蔵
母を亡くしたこの年、心の中にポッカリと空洞が出来てしまい、どうする事も出来ない心の寂しさを感じていました。今年の作品は何としても心に張りのある凛としたものを描きたい。その想いから、それまで温めていた竹垣(建仁寺垣)の中に花を描くモティーフを作品としました。母の面影を牡丹の花に託しました。〈那波多目功一〉(キャプション《作家の言葉》より引用)
竹垣をモティーフにした純和風の一枚。公式サイトで拝見した画像では、この竹垣が金色に輝いて見えましたが、実際は芥子色(に似た色)を使用しています。画伯の亡きお母様は、この牡丹花のように凛とした方だったのでしょうね。
昇陽(ディアナ神殿) 2006年 郷さくら美術館蔵
悠久の時の流れ、太陽はその時と変わらず今も輝き続けている神々しい空気、いつの時代にも神がいる、そんな思いで描きました。〈那波多目功一〉(キャプション《作家の言葉》より一部引用)
同じモティーフ「昇陽」ですが、『昇陽菊図』の表現とは著しく異なります。太陽神を崇めた時代にあっては、神殿を照らす日の出は比類なき輝きを放つ精神的支柱でもあったのでしょうか。
エレベーターの前を通過。奥にスキップフロア『B展示室』があります。素敵な間取りです。
1階B展示室
松山 1950年 茨城県近代美術館蔵
高校二年生で院展に初出品し、初入選した作品。高校生で絵を始めたきっかけは、毎年院展で落選続きの父に代わって自分が入選しようと決心したためであった。(中略)傍らで父に絵具を溶いてもらいながらまず空を塗り、次に林の奥になる部分を塗った後、左から順番に仕上げていったという。〈稲葉睦子氏〉(キャプション《作家の言葉》より一部引用)
那波多目作品と言えば、静謐な空気を纏う幻想的な世界を描く印象。異色とも思える本作のキャプションを読んだら、17才時の作品。院展初出品作が入選、とは信じ難い才能ですよね。お父様のご指導の下、画業をスタートさせたエピソードに心温まりました。
価格:1630円~ |
エレベーターを利用して2階へ。(3階まで昇り、3階展示室→2階展示室と鑑賞した後、階段を利用して下りるとスムースです。)
2階展示室
(前略)全国の名所・名木を描いた作品を中心に「桜」の絵画10余点をご紹介いたします。(《桜百景》パネル解説より一部引用)
別の画家の作品も展示されていますが、那波多目作品に限定してご紹介しましょう。
春に憩う 2014年 郷さくら美術館蔵
何か写生するものはないかと題材を求めて多摩自然動物園へ行きました。園内に孔雀が放飼になっており木にとまっている姿が絵になる姿として目に映りました。急ぐにその場で写生にとりかかりました。今から二十年以上前の事です。昨年(平成二十六年)やっと絵にする事が出来ました。〈那波多目功一〉(キャプション《作家の言葉》より一部引用)
『昇陽菊図』と並んで魅了された作品。満開の桜✕孔雀の取り合わせは初めて。孔雀が桜の枝に止まることがあるのか分かりませんが、平凡になりがちな春の景色を一変させる取り合わせですね。孔雀が3羽揃うと優美です。右の2羽はシンクロしています。孔雀の下の余白が絶妙。高い枝に止まっているであろうことを想像させます。
北城の春 2008年 郷さくら美術館蔵
取材は青森の弘前城です。弘前城の桜を写生するのに三年かかりました。(中略)その優雅さはお城の美しさと相まってなんとも言えない甘いすばらしい感動となって私の心に響いてまいりました。〈那波多目功一〉(キャプション《作家の言葉》より一部引用)
石垣の手前が地面なのか内堀なのか判然としません。地元の方だったら一目瞭然でしょう。中景に描かれた枝垂れ桜が水面にかかっているようにも見えます。ボーッと霞む桜までの距離は相当ありそう。近景に桜の木を配して大空間を取り込んでいます。
古都の春 2017年 郷さくら美術館蔵
近景、中景、遠景と綺麗に揃う構図。ほぼ白色で描かれた中景は、一面の桜でしょうか。日本に生まれたからには、一生に一度、こんな景色を拝みたいものです。連なる山には霞がかかっているのでしょうか。
エレベーターを利用して3階へ。
3階展示室
廃園 1983年 茨城県近代美術館蔵
島根県の大根島での写生に基づき、秋の院展で初めて奨励賞を受賞した作品。(中略)花をただ美しく描くのではなく、朽ちてゆく花の命を直視し、その実感を絵に託そうとした。〈稲葉睦子氏〉(キャプション《作家の言葉》より一部引用)
茶系を主体にした色彩により、樹が朽ちていく様子がありありと描かれています。黒っぽい影が不気味。大輪を誇る花もあり、この清新な白が悲愴感を和らげているのか、逆に助長しているのか…。
待春 2009年 茨城県近代美術館蔵
長い寒い冬を耐え、やっと待ちわびた春を迎えて、花も喜びながら宙を舞う姿、時間を超えて春を待つ喜びを身体全体で表現した架空の世界を描きました。〈那波多目功一〉(キャプション《作家の言葉》より一部引用)
新芽が沢山出ている植物を見つけると、気持ちが高揚しますよね。タイトル『待春』の解釈は「春を待つ」ではなく、画伯のコメントにある通り「待ちわびた春を迎えた」です。にもかかわらず、喜びを実現したのは架空の世界だったとは。
年年歳歳 2000年 ひたちなか市蔵
毎年、毎年、花は変わることなく咲くが、人は年とともに老いていく。(中略)春になると可憐なリンゴの花が咲き、小さな実をつけ、やがて大きな実となって色づくというリンゴの一生が、人の一生と重ねて描かれている。〈稲葉睦子氏〉(キャプション《作家の言葉》より一部引用)
視点はどこなのか、不思議な作品です。斜め上からリンゴの低木を見下ろしているようにも見えます。右の緩やかにカーブした幹から、たわわに実った枝を差し伸べているような…。植物の一生に人の一生を重ねる鋭敏な感覚がさらなる創造性を育んだのですね。
明けゆく(アッシジ) 2001年 郷さくら美術館蔵
街の半分は夜が明けていない中、もう半分は明けようとしている。そんな微妙な時間帯をとらえた作品。刻一刻と移り行く空の色が美しい。
3階 さくら之間
カフェ自販機が備え付けられています。休憩したり、語り合ったり、室内の資料(約400冊)を閲覧したりできるようです。なんて豊かな空間。
下りは階段を利用しました。
―余談①― 2階から1階へ続く階段の踊り場に、ミュージアム・ショップがあります。『春に憩う』をモティーフにしたクリアファイルを購入したら、無料で袋に入れてくれました。昨今、有料のミュージアム・ショップも多く、バックの中にエコバッグを忍ばせていますが、ご厚意に甘えました。
―余談②― 撮影にあたり、別の展示作品・来館者が多少映り込んでしまいました。照明の映り込みを回避すべく、距離や角度を工夫しましたが、免れるのは難しい( ・ั﹏・ั)
―余談③― 重要文化財《旧朝倉家住宅》が徒歩圏内(7〜8分)にあります。時間に余裕があれば、そちらも見学されてはいかがでしょうか。観覧料は一般100円。所要時間は、庭園も含めて40分ほどです。
価格:8580円 |