仙台駅/西口バスターミナル16番で一日乗車券(大人630円)を購入。本日2本目(9:20発)のバス※に乗り込みます。乗り場に常駐するガイドさんが、運行や観光スポットの休館情報等について、注意喚起をされていました。

「るーぷる仙台」は仙台駅前を起点に、仙台市内中心部のオススメ観光スポットを約70分で循環し、平日は20分、土・日・祝日は15分(8月全日は15分)間隔で運行します。 ―仙台観光マップより引用―
バスに揺られて13分ほど。バス停No.4 『瑞鳳殿前』で下車します。真っ先にすべきは、バス時刻表の撮影。
《瑞鳳殿》を目指し、緩やかな坂を上って行きます。4、5分で左手に《瑞鳳寺》の標札が視界に入ってきました。

下馬石 寛文三年七月十二日二代忠宗公七回忌法要の際四代綱村公荘子経吉に命じて大阪天王寺の下馬碑を模写せしめ坂下南側に立てた。昭和四十年十一月八日山門前に移した。書体を点画方式という。


反対側の道路脇に、伊達家墓所に関する解説が掲示されていたので、ご紹介しましょう。
仙台市指定史跡 経ヶ峯伊達家墓所
仙台城本丸跡から南東へ約900m、三方向を広瀬川に囲まれた丘陵地を経ヶ峯と称し、その由来は古く満海上人が東峰に経文を納めたことによるものと伝えられている。(中略)昭和6年(1931年)瑞鳳殿と感仙殿は、桃山様式の代表的な廟建築として国宝に指定されたが、昭和20年(1945年)の戦災により善応殿と共に焼失した。戦後経ヶ峯は伊達家より仙台市に寄贈され、遺跡として保存されてきたが、昭和49年(1974年)から昭和60年(1985年)にかけて3霊屋が再建され、現在経ヶ峯は仙台市指定史跡 歴史公園となっている。
《瑞鳳寺》は帰りに寄ることにして一旦通過。右手に分岐する道が見えてきました。小径の奥に《御子様御廟》があるようですが、この日は立入禁止になっていました。

坂の先にある石段を上ります。

途中、分岐点があります。見取図を拝見。

瑞鳳殿観覧券売場で入手したパンフに『石造りの階段は、戦争による焼失を免れた藩政時代からのもので、その数は、仙台藩の石高(62万石)を表したものと言われます。』と記載されていました。石段を数えながら、左側の石段を上りましょう。

瑞鳳殿
観覧券売場で観覧料を支払います。一般・大学生(個人)は570円ですが、ループル仙台一日乗車券を提示すると460円(団体扱い)になります。

柄杓が設置されていないので、手洗いは省略しました。
涅槃門を潜り、石段を上ります。


瑞鳳殿パンフに名称の記載がなく、ネットで検索しました。真偽は不明ながら、こちらは《拝殿》でしょうか。仙台市民になって間もないので、間違っていたらごめんなさい。
唐門手前の敷地内。左右に大香炉が据えられています。


【仙台市博物館】を特集した当ブログで掲載したサイトのリンク⇓を再び貼らせて頂きました。

伊達政宗公の霊屋 瑞鳳殿 (前略)寛永13(1636)年5月24日、江戸で70年の生涯を終えると、仙台に運ばれ、ここ経ヶ峯に葬られました。霊屋瑞鳳殿は翌年の10月に完成しています。木造三間四方の建物は漆極彩色によって仕上げられました。桃山文化の遺風を伝える豪華絢爛たる廟で、蟇股に瑞鳥、欄間に飛天、花頭窓に鳳凰、隅柱に獅子頭など躍動感あふれる彫刻が施されていました。(中略)瑞鳳殿は昭和6(1931)年に国宝に指定されましたが、昭和20(1945)年の震災により焼失。昭和54(1979)年に再建されました。(以下、割愛)


なるほど、彩色豊かで絢爛豪華。黒色・金色の組み合わせに、揺るぎない風格を感じました。
瑞鳳殿本殿両脇の殉死者供養塔について 主君が亡くなった時に、家臣がその後を追って自ら死ぬことを殉死といい、江戸時代初期までその風習がありました。藩主伊達政宗の死に際して、家臣15名と家臣に仕えた陪臣5名の計20名が殉死しました。こうした殉死者を供養するため、瑞鳳殿の両脇には宝篋印塔という形式の石塔が建てられました。(中略)現在の石塔は昭和54(1979)年の瑞鳳殿再建の際に作り直されたものです。

二代藩主 忠宗公は、殉死禁止令を敷かなかったのでしょうか。20名もの人材(忠臣)を失ったことは、伊達家にとって相当な痛手だったはず。


先ほど潜った《涅槃門》まで石段を下ります。順路に従い、この自動ドアを抜けましょう。

一方通行ということですね。自動ドアを抜けたら左手へ。次のエリア入口に「スケート靴のような石畳」という標示がありました。

⇑画像では手前にあります。言われれば、そう見えてくるから不思議です。
戊辰戦争 弔魂碑 弔魂碑は、戊辰戦争(慶応4年/明治元年〜明治2年)における仙台藩士及び旧幕臣・米沢藩の仙台応援隊士らを含む殉難者1,260名及び民間で犠牲となった多くの方の霊を弔うために、伊達家(14代当主伊達宗基)と旧仙台藩士が出資し、明治10(1877)年に鋳鉄製で建立されました。

戊辰戦争弔魂碑を見学した後の順路は《感仙殿》※1・《善応殿》※2・《妙雲界廟》となります。
※1 二代藩主 伊達忠宗公(中略)の霊屋である感仙殿は、瑞鳳殿と同様、華麗なもので、1931(昭和6)年に国宝に指定されましたが、1945(昭和20)年の戦災により焼失しました。戦後、瑞鳳殿に続いて1985(昭和60)年に再建されました。
※2 三代藩主 伊達綱宗公は(中略)19歳から2年ほどの治世の後、故あって幕府から逼塞隠居を命じられましたが、その後の生涯は書画・蒔絵などに天分を発揮し、優雅な余生を送ったといわれています。(以下、割愛)
―瑞鳳殿パンフより一部引用―

鬱蒼とした小径を進む《感仙殿》エリアの見学を割愛しました。後から思えば、そちらも見学すれば良かった…。
帰路、垣根越しに、先ほど通った手水舎周辺を撮影。

《瑞鳳殿》エリアを退出し、《瑞鳳寺》へ向かいます。
瑞鳳寺
この重厚な造りの門を潜りましょう。瑞鳳寺パンフによると『東京品川の伊達屋敷の門を模したもの』。

敷地の左側に鐘楼があります。『昭和三年 今上陛下即位記念に建立したもの』とのこと。





梵鐘 県指定重要文化財 寛永十四年(1637)二代忠宗公願主となり政宗公菩提の為 工匠早山弥兵エに命じ鋳造した。(中略)総長158.6センチ 竜頭高31.1センチ 径91.1センチ(以下、割愛)

《瑞鳳寺》を退出して『瑞鳳殿前』バス停へ。下車してから約60分後、再び循環バスに乗車しました。
仙台城跡
10分ほどでバス停No.6「仙台城跡」に到着。宮城縣護國神社と刻まれた社号標を見上げ、鳥居を潜ります。


現在地を確認しましょう。


仙台城の歴史 (前略)仙台藩祖伊達政宗公は(中略)慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いに徳川家康を助け、石田三成と呼応した会津の上杉景勝を牽制し家康をして二正面同時作戦の不利を回避させた功により新たに刈田郡を増加、仙台60万石(後 近江、常陸で2万石増加)に封ぜられた。この時 政宗公34才、大いに工を起して仙台城を築城、同時に戸数1万8百 人口5万2千の城下町を開いた。二代忠宗に至って二ノ丸、三ノ丸を造営し、62万石の雄藩にふさわしい城郭を完成した。(以下、割愛)
資料館らしき建物が見えてきました。

館内は撮影できるようです。

発掘調査から解ったこと 大広間の柱は当時の基準である1間を6尺5寸(197cm)の間隔で建てられている。礎石を据える穴の直径は最大で2.4mもあり、穴の中には柱の沈下防止のために多くの川原石を詰めている。(以下、割愛)

大広間の間取り 大広間の規模は東西33.5m、南北26.3mで、その広さから「千畳敷」とも称される。部屋は「上段の間」「孔雀の間」「檜の間」などの表側の部屋に加え、南側には「裏上段の間」「鶴の間」「鷹の間」や、それらの部屋列に挟まれた三列の部屋列となる。上段の間の北側には「上々段の間」があり、部屋の周囲には広縁や落縁が廻っている。このような間取りは豊臣秀吉による京都聚楽第の大広間に酷似し、格式の高い建築様式とされている。

見聞館前に広場があります。この広大な敷地が本丸大広間跡!!
仙台城本丸大広間跡 遺構表示 前方の石や舗装は、発掘調査の成果をもとに、仙台城の中心的な建物であった大広間の遺構を、地上に復元したものです。





シニア世代に『仙台のシンボル』を問えば、この伊達政宗公の騎馬像を挙げるのでは。若い世代は羽生結弦さんでしょうか。

この美しい銅像の制作者について詳述している『柴田町公式サイト』のリンクを貼っておきます⇓

『仙台城跡』バス停へ。下車してから約40分後、再び循環バスに乗車しました。
大﨑八幡宮
20分ほどでバス停No.11『大﨑八幡宮前』に到着。忘れずに、バス時刻表を撮影しましょう。

大﨑八幡宮 慶長12年(1607)に伊達政宗により造営されました。(中略)政宗の志向を表わす“伊達”な文化を最も代表する建造物です。(中略)社殿は明治36年(1903)に国宝に指定されました。
政宗が育んだ“伊達”な文化 (前略)上方に負けない気概で自らの“都”仙台を創りあげようと、政宗は古代以来東北の地に根づいてきた文化の再興・再生を目指しました。伊達家で育まれた伝統的な文化を土台に、上方の桃山文化の影響を受けた豪華絢爛、政宗の個性ともいうべき意表を突く粋な斬新さ、さらには海外の文化に触発された国際性、といった時代の息吹を汲み取りながら、新しい“伊達”な文化を仙台の地に華開かせていったのです。(以下、割愛)


大石段 慶長十二年(1607)の大﨑八幡宮創建時からのものとされる。緊張感のある急勾配のなかにも均衡のとれた石段で九十八段とも百段とも言われる。(以下、割愛)

数えながら上ったら98段ありました。

大﨑八幡神社 国宝 社殿(本殿・石の間・拝殿) 国指定重要文化財 長床
伊達政宗の仙台開府後の慶長七年(1602)それまであった岩手沢(現岩出山)より遷宮。同九年(1604)起工、同十二年(1607)完成。大﨑八幡の名は遷宮以前の大﨑の地よりとったもの。(中略)社殿は拝殿と本殿そしてそれらを連結する石の間の三殿が一体となった権現造りの形式を有す霊廟建築で、豊国神社を模したものという。(以下、割愛)




お詣りした後、御守を扱う窓口で御神籤を引きました。
高野槙 木曽地方より西に広く自生するスギ科の常緑高木。(中略)樹齢は約四百年と推測され、宮城県以北の自生はないため創建当時に植栽されたものと思われる。

『大﨑八幡宮前』バス停へ。下車してから約40分後、再び循環バスに乗車しました。25分前後で、起点『仙台駅前』に到着。
《仙台駅》→《瑞鳳殿》〜《瑞鳳寺》→《仙台城本丸跡》→《大﨑八幡宮》→《仙台駅》を約3時間半で周遊しました。連休直後の平日でもあり、スムースに移動することができました。休日に周遊する場合、バスの混み具合から異なるので、体調をととのえてお出掛けください。
