東京藝術大学大学美術館《相国寺展》(後期)を鑑賞。(2025年/春)

展覧会ダイジェスト版

 過去の展覧会ダイジェストになります。

副題は《相国寺承天閣美術館開館40周年記念 金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史》。3月29日から5月25日まで開催されていました。

本展は撮影不可でした。印象に残った展示作品をご紹介しましょう。墨蹟については殆ど触れておりません。通期展示作品及び展示室内の解説文については(前期)ブログにてリポートしましたので、当ブログでは割愛します。尚、紫色の文字で表記した箇所は、キャプションから(一部)引用しました。

第一章 創建相国寺

重要文化財 足利義満像 飛鳥井雅縁あすかいまさより 賛 一幅  絹本著色 室町時代 15世紀 鹿苑寺

(前略) 右肩からかけている金襴模様きんらんもよう横被おうひ(帯状の布)が義満の華やかな生涯を象徴している。図上の自詠の三首では、咲き誇る山桜と袖にふれ香る橘を叙情豊かに詠み、石清水の社に一族の末永い繁栄を祈る。

重要文化財 《足利義満像》伝飛鳥井雅縁賛 一幅 絹本著色 室町時代 15世紀 鹿苑寺  (ポストカードを撮影)

記憶はやや朧げですが、教科書に掲載されていた作品。実物とポストカードとは、三首を記した地の色が若干異なります。藍色に見える地の色は深緑色でした。御簾のように演出して、三首を披露したのでしょうか。

重要文化財 永楽帝勅書 永楽帝筆 一幅 紙本墨書 中国・明時代 永楽5年(1407) 相国寺

明国の永楽帝(1360−1424)から「国王源道義」すなわち3代将軍足利義満に宛てた勅書である。義満が倭寇の禁圧に尽力したことへの感謝が示されるなど、当時の日明関係の実態を示す根本資料の一つとされている。(以下、割愛)

楷書。十一行に収められた勅書は目を見張る美しさでした。文頭と文末に「勅」の文字。殊更大きい文末「勅」の意味するところを知りたいところ。音声ガイドを借りていたら判ったかもしれませんが…。

重要文化財 洞窟達磨図  無象静照むぞうじょうしょう 賛 一幅 絹本墨画著色 鎌倉時代 13世紀 鹿苑寺

達磨は崇山少林寺において終日壁に向かい端座すること9年に及んだ。鎌倉禅林にゆかりある無象静照(1234−1306)が着賛するこの達磨図は、当時の中国絵画の最高水準を伝えている。(以下、割愛)

洞窟をくり抜いたような空間に達磨大師が座っています。背景が焦げ茶色なので、達磨大師の纏った赤色の衣が一際目を引きました。

重要文化財 蓮図 能阿弥筆・賛 一幅 紙本墨画 室町時代 文明3年(1471) 正木美術館

晴れの儀式に欠かせない唐物飾りなど殿中での種々の技芸を取り仕切る同朋衆どうぼうしゅう。能阿弥(1397−1471)は、その一人として足利将軍家に仕えた。この作品では自身の最期を蓮の花と辞世の句で演出している。(以下、割愛)

亡くなる年に制作された作品。近く寿命が尽きることを悟っていたのでしょうか。蓮の花・葉が生命力豊かに表現されていました。

第二章 中世相国寺文化圏

重要文化財 王羲之書扇図おうぎししょせんず 如拙じょせつ 大岳周崇 賛 惟肖得巌 追賛 一幅 紙本墨画淡彩 絵.賛:室町時代 15世紀 追賛:室町時代 永享2年(1430) 京都国立博物館

書聖と謳われる王羲之が扇に字を書いて老婆に渡すという逸話を描く。足利家の御用絵師で相国寺の画僧だった如拙の数少ない遺作の一つである。(以下、割愛)

画面の上半分には、十五行に亘る賛がぎっしり。下半分には、余白の中央に丸みを帯びた扇が形成され、2人の童を前にした貴人が筆を持ち、団扇のようなものに何やら書こうとしています。

重要文化財 山水図 雪舟筆 龍崗真圭りゅうこうしんけい 賛 一幅 紙本墨画淡彩 室町時代 15世紀 京都国立博物館

「拙宗」と刻された印をもつこの作は、雪舟が拙宗等楊と名乗っていた時期に描いたものとされる。賛を寄せた相国寺夢窓派の僧・龍崗真圭は、雪舟が中国元代の高僧・楚石梵琦そせきぼんきが書いた「雪舟」の二文字によせて改号したと伝えた人物でもある。

切り立った崖が左右から迫ります。崖上には楼閣が連なり、遠景には山並み。画面下部に、崖下の山道を行く馬上の人物、供の者が描かれています。一見地味ですが、その世界に引き込まれました。

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第三章『隔蓂記』の時代

異国通船朱印状 西笑承兌 筆 十三通 紙本墨書 江戸時代 慶長8−11年(1603−1606) 相国寺

徳川幕府が海外渡航の商船に給付した通船朱印状が相国寺に伝わる。当時徳川幕府の外交文書作成にも携わった西笑承兌せいしょうじょうたいによる自筆史料である。

ガラスケース内に「自日本到西洋舟也」「自日本到東京舟也」「自日本到安南国舟也とそれぞれ大書された朱印状が3通展示されていました。

花鳥図衝立 狩野探幽筆 二基 絹本墨画淡彩 江戸時代 慶安元年(1648) 相国寺

鳳林ほうりんの日記『隔蓂記かくめいき』には、京都に滞在していた狩野探幽(1602−74)に鳳林自身が画絹を持参し、勧請開山 夢窓疎石むそうそせきの300年忌のために本作の制作依頼をしたことが記されている。(以下、割愛)

左に展示されている衝立は「梅に鳩図」。右に展示されている衝立は「柳に尾長鳥おながどり」。前期同様、味わい深い作品でした。半ば剥落していますが、尾長鳥の長い尾に施された胡粉が輝いていました。描かれた当時はさぞや美しい尾長鳥だったことでしょう。

三十祖像さんじっそぞう 狩野探幽筆/狩野安信筆/狩野常信筆/海北友雪筆  三十幅のうち五幅 絹本著色 江戸時代 17世紀 相国寺

開山忌の荘厳用しょうごんように用いられた列祖図。初期の達磨を描いた探幽(1602−74)ほか主要な狩野派絵師が参加し、海北友雪(1598−1677)が夢窓疎石と春屋妙葩しゅんおくみょうはを描いている。明暦年間の御所造営に伴い絵師たちが相国寺を宿所としていたためにこの競演が実現した。

統一されたサイズ・表装の掛け軸が五幅並ぶと壮観。探幽作品は衣の輪郭線が強調され、力強い達磨大師を表現していました。

国宝 無学祖元墨蹟 与長楽寺一翁偈語ちょうらくじいちおうにあたうるげご 無学祖元筆 四幅 紙本墨書 鎌倉時代 弘安2年(1279) 相国寺

無学祖元むがくそげん(1226−86)が長楽寺の一翁院豪(1210−81)に与えた偈頌げじゅ(以下、割愛)

二福一対として展示されていました。左幅は「主無学祖元書」と結んでいますが、「無学」は大きく「祖元」は極端に小さく綴られていました。行書は字粒を揃えないところに味わいがあります。

第四章 新奇歓迎!古画礼賛!

乗興舟 伊藤若冲筆 一巻 紙本拓版 江戸時代 明和4年(1767) 和泉市久保惣記念美術館所蔵

若冲と梅荘が京から淀川下りに興じた時の体験をもとにした作品。(以下、割愛)

ガラスケースの周辺が混んでいたので後回しにしたら、そのまま忘れてしまいました。楽しみにしていたのに残念です😔

水月観音すいげつかんのん寒山拾得図かんざんじっとくず  観音:伝 牧谿もっけい 筆 寒山・拾得:伝 可翁かおう 筆 伝一山一寧賛 三幅 観音:絹本墨画淡彩 寒山・拾得:絹本墨画 南北朝時代 14世紀 相国寺

「同仁斎書画展目次」によれば、寛政元年(1789)の展観で寒山拾得図のみが豊光寺蔵として出品されている。(以下、割愛)

絵師の異なる「水月観音」と併せて三幅一対とされている異色作。中央の「水月観音」横幅のみ大きく、後世になって一対に仕立てたのだろう…と想像しました。箒を手に持っていないので、寒山・拾得の見分けはつかず。正面を向いた左幅の人物は、右手で天を指し示し、意味深長な仕草。

第五章 未来へと育む相国寺の文化

重要文化財 毘沙門天像 雪舟筆 一幅 紙本墨画 室町時代 15世紀 相国寺

毘沙門天は四天王のうち北方を守護する多聞天たもんてんのこと。やや青みを帯びた淡墨の濃淡が軽快にその姿を映し出す。右手に持った三叉戟さんさげきと呼ばれる鉾が垂直に貫き、画面に緊張感を与えている。(以下、割愛)

重要文化財《毘沙門天像》雪舟筆 一幅 紙本墨画 室町時代 15世紀 相国寺 (ポストカードを撮影)
重要文化財《毘沙門天像》部分 (ポストカードを撮影)

雪舟と言えば山水画、というイメージを覆す見事な作品。三叉戟なる鉾が細くデフォルメされていますが、仮にこの鉾を太くしてしまうと、鉾が目立ち過ぎるかもしれません。鉾を見やる鋭い目つきも見どころでした。鬼を踏みつける毘沙門天の迫力が伝わってきました。

重要文化財 蔦の細道図屏風 伝俵屋宗達筆 烏丸光広賛 六曲一双 紙本金地著色 江戸時代 17世紀 相国寺

重要文化財《蔦の細道図屏風》右隻 伝俵屋宗達筆 烏丸光広賛 六曲一双 紙本金地著色 江戸時代 17世紀 相国寺

(前略) 俵屋宗達(生没年不詳)の工房印「伊年いねん」が捺される。『伊勢物語』第九段にちなむ詩を散らし書きにしたのは能書家で知られる烏丸光広からすまるみつひろ(1579−1639)。(以下、割愛)

六曲一双屏風。金箔が貼られた画面に大小の散らし書きが良い塩梅で配され、緑色の蔦の葉が金地に映えます。画像とは異なり、下部に施された緑青の帯が鮮やかでした。この見事な散らし書きに釣り合う絵師といえば、宗達クラスでしょう。

探幽縮図画帖 狩野探幽筆 一帖 紙本墨画淡彩 江戸時代 17世紀 相国寺

狩野探幽は、鑑定のために持ち込まれた様々な作品を模写し、その日付や依頼主を記録した。すでに現存しない作品の情報も含まれていることから史料的価値はきわめて高い。

場面替となった本作も楽しみにしておりました。前期同様、10場面(人物画4、花鳥画4、風景画2。)全てが非の打ち所がなく、探幽ならば原画を描いた絵師より技量が上、というケースもままあったかと思います。

重要文化財 七難七福図巻 円山応挙筆 三巻 紙本著色 江戸時代 明和5年(1768) 相国寺 

人の世の苦難と寿福を絵解きするために制作された絵巻。天災巻では、地震、洪水、火災あるいはオオカミや大蛇に襲われる場面を描く。(以下、割愛)

後期に展示されている『天災巻』は、大火に見舞われて逃げ惑う人々、火災現場へ向かう大名火消でしょうか?馬上の人が混ざった威厳ある一団も描かれていました。火を避けるために畳を担いで逃げる人、家財道具を持ち出す人…。臨場感満載。『人災巻』は強盗に押し入られた屋敷内部の惨状がつぶさに描かれていました。

重要文化財 大瀑布図 円山応挙筆 一幅 紙本墨画淡彩 江戸時代 安永元年(1772) 相国寺

応挙が円満院門主の求めで制作した実験的な大作。激しい飛沫とともに落下する滝を見上げ、また黒く濡れた岩と激しい波頭の滝壺をのぞき込む。そこには2次元絵画ではなく3次元のバーチャルリアリティの世界が広がっている。

重要文化財《大瀑布図》円山応挙筆 一幅 紙本墨画淡彩 江戸時代 安永元年(1772) 相国寺 (ポストカードを撮影)
重要文化財《大瀑布図》部分(ポストカードを撮影)
重要文化財《大瀑布図》部分(ポストカードを撮影)

高さ4mはあろうかという巨大な掛け軸。展示室の高さをゆうに超えるので、下部は斜めに寝かせる形で展示されていました。岩肌は濃墨で描かれ、水流は淡墨。岩にへばりつくように真横に伸びた松の樹木が印象的でした。

以上、後期展示から印象に残った作品をご紹介しました。

相国寺承天閣美術館開館40周年記念相国寺展―金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史 | 東京藝術大学大学美術館 The University Art Museum, Tokyo University of the Arts
東京藝術大学の大学美術館の公式ホームページです。

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