太白区【地底の森ミュージアム】を見学。長期休館前に足を運びたい。(2026年/初夏)

杜の都便り

地下鉄南北線に乗車して【長町南駅】で下車。【西1番】より地上へ。案内標識(350m)が出ています。徒歩5分ほどで到着。

ようこそ地底の森ミュージアムへ      ここでは富沢遺跡で発見された2万年前の旧石器時代の森と人類の生活跡を 発掘されたそのままの姿で公開し、当時の様子を再現しています。(以下、割愛)           ―掲示された解説から一部引用―

敷地に足を踏み入れると、地下へ続く階段が視界に入ってきました。受付が地下とは珍しい。

入館料は一般460円。【縄文の森広場】との共通入場券を購入すると490円。そちらは14日間有効。

小学生・中学生の入館料は110円(共通入場券150円)。高校生の入館料は230円(共通入場券280円)。

半月以内だったら行けそう…と思い、共通入場券を購入しました。よしんば無駄になったとしても、差額は僅かです。

順路に沿って、見学スポットをご紹介しましょう。紺色の文字で表記した箇所は、会場内の解説から一部引用しました。

地下展示室

最初の見学箇所がこちら⇓ スマホで撮影。

地下展示室

先に入場した見学者に倣って、反時計回りに歩を進めます。   (時計回りでもOKかと思います。) 

地下展示室 別の角度から
倍率3.7倍で撮影
倍率3.7倍で撮影
倍率3.7倍で撮影
倍率3.7倍で撮影
倍率5.0倍で撮影

入口の方向を振り返って撮影

地下展示室 別の角度から

一周せず、次の見学スポットへ向かうことにします。通路(緩いスロープ)を進みましょう。

富沢遺跡の調査  富沢遺跡は、仙台市太白区の低地にある面積90haの広大な遺跡である。1982年から発掘調査が行われ、弥生時代から明治時代にかけての水田跡が広い範囲に何層もあることがわかり、大規模な水田遺跡として知られるようになった。数多くの調査から、その下に縄文時代の層があることもわかり、さらに下層の調査を進めた結果、1988年3月に、地下5mから、2万年前の氷河期の森と人の生活した痕跡が一緒に見つかった(以下、割愛)

地下展示室の規模に圧倒されましたが、そもそもの富沢遺跡がここまで広大とは! 地下5mとは、事前調査だけでも大変な労力を費やしたことでしょう。

通路を抜け、階段を上り、1階展示室へ。エントランスにはニホンジカの剥製が展示されています。

ニホンジカの剥製

常設展示 解き明かされる2万年前

2万年前までの人類の進化と広がり 人類は約400万年前にアフリカで誕生し、旧石器時代を通じて進化しながら、世界各地へ活動範囲を広げてきた。(以下、割愛)

展示ホールのエントランス

7つのガラスケース内に、頭蓋骨の複製が展示されています。その中から2点ほどご紹介しましょう。

アウストラロピテクス・アファレンシス   ハダール(エチオピア) 300万年前 複製

アウストラロピテクス・アファレンシス ハダール(エチオピア) 300万年前 複製

まだまだ人間離れしていますね。進化過程はオレンジのところ⇓ 

✧ホモ・エレクトゥス(北京原人) 周口店(中華人民共和国) 23〜46万年前 複製

ホモ・エレクトゥス(北京原人) 周口店(中華人民共和国) 23〜46万年前 複製

進化過程は肌色のところ⇓ 

2万年前の環境と人類  氷河が拡大し、海面は100m近く下がっていた。そのため日本列島は大陸と陸続きか、それに近い環境にあり、動物や植物も現在とは異なっていた。(以下、割愛)

ここでは、発掘調査からわかったことを「富沢博士」が謎解きをしながら紹介します。(以下、割愛)

《富沢遺跡》だから《富沢博士》? 直球!!

展示ホールの景観

ホール中央の床下に展示されているのは、復元された2万年前のキャンプ跡、とのこと。

これは富沢から見つかった炭化物とその周辺を 発掘された時の状態に復元したものである。2万年前に富沢を訪れた旧石器人たちは、細かい炭化物のまとまりと100点ほどの石器、小さな穴などの活動の痕跡を残していった。(以下割愛)

《たき火跡》と標示されている箇所を高倍率で撮影すると⇓

焚き火跡

2万年の時空間が一瞬にして縮まりますね。

壁に沿った展示を見学することにしましょう。手前右側から反時計回りに進みます。その中から、興味深いテーマを幾つか取り上げることにします。

たき火跡は語る

富沢には炭化物が集中して発見された箇所があり、さまざまな分析や考察の結果、これが2万年前のたき火の跡であることがわかった。ここでは、なぜそれがわかったのか、その謎解きの過程をみてみよう。

展示風景

炭化物のまとまりは何の痕跡か?  富沢博士「富沢からは石器に囲まれるように、黒く細かい炭化物が、直径70〜80cmの範囲にまとまってたくさん見つかった。さて、これはいったい何を示しているのじゃろう?

炭化物と石器の分布  樹木は、火を受けて黒い炭になる場合と、地下の展示室の樹木が見つかったときのように自然に黒くなる場合があり、顕微鏡で見るとその違いがはっきりとわかる。ここで発見された細かい炭化物には、火を受けた黒い炭と同じように、きらきらと光る特徴が見られる。

民族考古学の成果と富沢   L.R.ビンフォード博士(アメリカ)らによる民族考古学の調査では、エスキモーなどの狩猟採集集団に見られる、炉を半円状に囲んで座るパターンが報告されている。(中略) 人間は、炉の煙を避けるために風上に座っているが、富沢でもそうだったのだろうか?

石器は語る(1)   ―道具の製作―

たき火跡のまわりの石器の分布から、たき火の北東側では石器作りが行われたことがわかった。(以下、割愛)

石器作りはどう行われたか?  富沢博士「多くの黒色の破片と1点の石核は接合する。つまりピッタリ合わさり、一つの石になるということじゃが、そこからもとの石の大きさや石器作りの順序もわかるんじゃよ

シカのフンは語る

この黒い粒は何だろう?  富沢博士「富沢からは、黒い粒がまとまって、あちらこちらから見つかった。はて、この黒い粒は何じゃろう?

黒い粒を調べてみよう  (前略) 組織化学分析を行うと、黒い粒は植物の小さなかけらからできていることがわかり、中から動物の消化管内で分泌された粘液が検出された。(以下割愛)

いろいろな動物のフンとくらべてみよう     一回分のフンの量、ドングリのような形や大きさなどを見ると、これはニホンジカのフンに最も近いことがわかる。(以下、割愛)

シカはどんなものを食べていたのだろう    富沢博士「シカがどんなものを食べていたのか、フンのなかみを見てみるとしよう

このシカのフンのなかみをくわしく調べてみると フンを構成する植物のかけらは、ほとんどが木質の繊維や針葉樹の葉からできていた。また、フンの中からは、土に含まれているよりもはるかに多い量のカバノキやハンノキ、ハシバミの花粉が、さらにヨシやササなどに含まれているガラス質の小さな細胞(プラント・オパール)が見つかった。(以下、割愛)

富沢博士「2万年前のフンが、今、落とされたかのような生々しい状態で残っていたとは驚きじゃのう。いったい、どういうわけじゃろう?

富沢の地質の特徴を見てみると… (前略) 富沢のフンが残ったのは、そこが常に湿潤で水の影響を受けやすい土地だったからである。地層を観察すると、森林があった富沢はその後は、粘土や砂などがくり返し堆積するような土地に変わっていったことがわかる。

樹木の保存処理とポリシロキサン  これは2万年前の地層から掘り出されたグイマツの樹根である。地下展示室と同様に、ケイ素化合物であるポリシロキサンという薬品で保存処理している。

2万年前のグイマツの樹根

地下展示室は照明が暗く、植物と認知し難い感覚を覚えましたが、明るい照明の下で拝見すると、まさしく樹根。

企画展  Digging up ! SENDAI !!

会期は4月24日から8月26日まで

入口には、大きなガラスケースに縄文土器が展示されています。ご興味のある方は是非!

✧縄文土器 (高柳遺跡出土)           最大径約35cm・高さ約49.5cm

縄文土器 (高柳遺跡出土)  最大径約35cm・高さ約49.5cm

無骨なフォルムがいかにも縄文土器、という感じでしょうか。

展示風景

✧球果 (富沢遺跡出土) これらを調べることで2万年前の環境を推測することができます

球果 (富沢遺跡出土) 

✧シカのフン (富沢遺跡出土)  2万年前のもの ニホンジカのフンより少し大きいです

シカのフン (富沢遺跡出土) 

2万年前のフンを至近距離から視認できます。

展示風景

✧飾金具 (仙台城跡出土)  薄い銅板に鍍金めっきを施したもの 仙台城の屋根を彩っていたと考えられます

飾金具 (仙台城跡出土)

屋根にまで飾り金具が使用されていたとは驚きです。

✧軒丸瓦 (仙台城跡出土) 屋根の軒に配置するための瓦です 三引両紋みつびきりょうもんは伊達家の建物で用いられました

軒丸瓦 (仙台城跡出土) 

出土された軒丸瓦のサイズに合わせて、家紋(三引両紋)図を緑色で印刷したのですね。先のブログに貼り付けたサイトを再度ご紹介させていただきます

伊達政宗博物誌 伊達家伯記念會 伊達政宗博物誌 伊達家の家紋

展望ラウンジ

展望ラウンジ

手前に編布製品が展示されています。奥カウンター(有人)で、小物等も販売されていますよ。

編布について   編布あんぎんはカラムシやアカソ、麻などの植物の繊維を材料にし、俵や簾を作るのと同じように、よこ糸にたて糸を絡ませ編んでいくものです。この布の起源は古く、およそ6000年前の縄文時代前期にはあったことがわかっています。

編布製品

縄文時代前期、どんな用途があったのでしょう。寒さや怪我を防止するため、急所に身に付けたのが最初かな? 魔除け・御守の石を入れて首からぶら下げていた可能性も?

野外展示  氷河期の森

有人カウンターの手前に扉があります。外階段を下り、野外へ出ることができます。【オススメ散策順路MAP】(配布)を見ながら散策してみましょう。

先刻いた展望ラウンジが見えます。

細かい砂利の混じった園路。歩きやすいですよ。

氷河期の森の植物  ここでは2万年前の氷河期に富沢に広がっていた森を再現しています。絶滅したトミザワトウヒによく似たアカエゾマツや、グイマツなどの針葉樹に、シラカンバ・ハンノキなどの広葉樹と、ハシバミ・シャクナゲなどの低木を加えた林を所々に配置しています。また、林のまわりの草原にはアキカラマツやワレモコウなど、湿地や沼のほとりにはスゲやカヤツリグサ・ミツガシワなどの草を植えています。 

見上げると、美しい樹形。

小さな池で鴨が一羽、ひっそりと泳いでいました。

野趣あふれる森、の一面。

《氷河期の森》出口は⇓この左手。正面ゲートに戻りました。

【地底の森ミュージアム】は、改修工事を行うため、2026年8月31日より長期休館となるそうです。再開館(予定)は2029年4月。中学1年生の夏休みに見学したら、次は早くて高校1年生の春。小学生・中学生には特に、今夏お薦めしたいスポットです。

地底の森ミュージアム、縄文の森広場、歴史民俗資料館

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