リニューアル・オープン!! 青葉区/宮城県美術館で特別展《美術の時代》を鑑賞。(2026年6月)【前編】

杜の都便り

仙台市営地下鉄東西線を利用する場合、【国際センター駅】または【川内駅】が最寄となります。私は国際センター駅で下車。西1出口から美術館を目指しました。徒歩6分程で、美術館の建つ交差点に到着。

敷地内へ。時刻は10時近く。雨が降ったり止んだりの中、来館者ちらほら。

こんなにアプローチの長い美術館も珍しい。俄然、期待が高まります。

前庭からエントランスを望む

右手に中庭があります。館内案内図と突き合わせると、この中庭は、県民ギャラリー・キッズスタジオ・創作室・レストラン等に囲まれています。

中庭
エントランス

チケット売場でチケットを購入。特別展《美術の時代》の観覧料は、一般700円、学生無料。順路は2階から。

1階ロビー 吹き抜け空間

展示室1〜展示室2

手前に受付があります。チケットを提示して入場しましょう。

印象に残った展示作品をご紹介しましょう。尚、茶色の文字で表記した箇所は、会場内の解説から一部引用しました。

チャールズ・ワーグマン 江戸湾の朝 紙、油彩

チャールズ・ワーグマン 江戸湾の朝 紙、油彩

紙に油彩で描かれた作品は、以前も拝見したことがありますが、なかなか判別できません。「江戸湾」とは東京湾のことですね。小品ながら、構図も色彩も素敵です。

新しい風景の発見  小山正太郎の《風景》は、工部美術学校在学中の作品です。同校に招聘されたイタリア人教師フォンタネージは、バルビゾン派の流れを汲む画家で、そのロマンチシズム溢れる風景画は学生たちの自然観に影響を与えました。本格的な西洋画教育を受けた小山は、のちに画塾不同舎を設立し、後進の育成に尽力します。(以下、割愛)

小山正太郎こやましょうたろう 風 景 1876−78 麻布、油彩

小山正太郎 《風 景》 1876−78  麻布、油彩

画面の3分の2は、ほぼ褐色で表現された空。荒涼な景観、と申し上げて良いでしょう。主要なモティーフは、港に係留した帆船でしょうか。複数の人影も認められます。技量に感服致しました。

小山正太郎 《風 景》 部分 

「日本画」の誕生と近代化 (前略) 洋画を教えた工部美術学校の廃校後、1887(明治20)年に設立された東京美術学校で、開校当初に指導された絵画は日本画でした。狩野派の橋本雅邦や円山派の川端玉章らが教職に就き、伝統の上に西洋的表現にも意識を向けながら、純粋美術としての日本画が探求されました(以下、割愛)

橋本雅邦 秋景山水図 絹本着色

橋本雅邦 《秋景山水図》 絹本着色

橋本画伯の作品は、東京藝術大学大学美術館で昨秋開催された【藝大コレクション展2025】で、《白雲紅樹》(重要文化財)を鑑賞。近年拝見した日本画の中で、5指に挙げたいほど見事な作品でした。その作品同様、深遠な景観を描いた本作も、流石は橋本雅邦! と思わせるものがあります。

橋本雅邦 《秋景山水図》 部分 
橋本雅邦 《秋景山水図》 部分 

“洋画”を学ぶ   高橋 由一ゆいちは、(中略) 横浜でイギリス人挿絵画家ワーグマンに学び、油彩技術を修得します。1876(明治9)年には、日本初の官立美術学校として設立された工部美術学校に招聘されたイタリア人画家、フォンタネージにも師事しました。(以下、割愛)

高橋が師事した挿絵画家ワーグマンとは、冒頭ご紹介した《江戸湾の朝》の作者ですね。

高橋由一と宮城  1881(明治14)年、高橋由一は山形県令三島 通庸みちつねの委嘱で東北を訪れ、新道開削などの記録画を制作しました。その際、宮城県の依頼も受け、《宮城県庁門前図》《松島五大堂図》《松島図》は描かれました。旧仙台藩の学問所・養賢堂講堂を転用した威風堂々たる県庁舎と洋風の門からなる新たな景観、さらに日本三景・松島と、当時の宮城を象徴する風景を記録したものです。(以下、割愛)

✢高橋由一 宮城県庁門前図 1881 綿布、油彩 宮城県指定有形文化財

高橋由一《宮城県庁門前図》 1881 綿布、油彩 宮城県指定有形文化財

藩校のような建物だわ…と思ってキャプションを読んだら、かつて仙台藩の学問所だったのですね。連なる屋根に、多くの藩士が研鑽を積んだ往時を窺うことができます。増設された白い門柱等が、古い建物の雰囲気を損なっているように思いますが、当時の流行だったのでしょうね。

✢高橋由一 松島図 1881 麻布、油彩 宮城県指定有形文化財

高橋由一 《松島図》 1881 麻布、油彩 宮城県指定有形文化財

他の作品の写り込みをご容赦ください。穏やかな松島の景観、素朴な画風に好感が持てます。

高橋由一 《松島図》 部分
展示風景

✢パブロ・ピカソ 貧しい食卓 1904 紙、エッチング・エングレーヴィング 佐藤忠良コレクション

パブロ・ピカソ 《貧しい食卓》 1904 紙、エッチング・エングレーヴィング 佐藤忠良コレクション
パブロ・ピカソ 《貧しい食卓》 部分

2025年6月、国立西洋美術館で《Picasso ピカソの人物画》展を鑑賞。その折、同館の所有する同版画(エッチング)が《貧しき食事》(1904)というタイトルで展示されていました。

ご参考まで、国立西洋美術館の展示室に掲げられていた解説を一部引用しましょう

(前略) 暗い青色が絵画を支配したことから一般に「青の時代」と呼ばれるこの一時代は、親友の画家カルラス・カザジェマスの自殺を一つの契機に、貧困や孤独に苦しみながら社会の底辺を生きる人々が繰り返し描かれました。(以下、割愛)

貧しき食事 1904年(1913年刷り) ピカソの最初の本格的な版画作品にして、彼の初期の代表作です。聖と俗の共生は「青の時代」に通底するテーマですが、本作においても、男女の前に置かれたパンとワインがキリスト教の典礼である聖餐を想起させる一方、人物の痩せ細った体と虚ろな表情からは、貧困とアルコール依存症の悲惨さを読み取ることもできるでしょう。(以下、割愛) 

ついでに《貧しき食事》を拝見した時の感想も⇓

衝撃的な作品。負の連鎖から抜け出すことのできない厳しい現実が、生気を感じさせない男女から伝わってきます。二人の骨張っている腕・指が異様に長く、悲惨さと共に気味の悪さを感じました。

ブリュッケ  1905年、ドレスデンの工科大学で建築を学んでいた4人の学生、キルヒナー、ヘッケル、ブライル、シュミット=ロットルフが「ブリュッケ(橋)」という芸術家グループを結成しました。翌年にはペヒシュタインが参加します。それまでの伝統的な写実や再現を離れた、感情の表出、強烈な色彩といった新傾向は、ミュンヘンの「青騎士」と並んで、ドイツ表現主義として注目されていきました (以下割愛)

✢ヘルマン・マックス・ペヒシュタイン   パイプ煙草を吸う漁師 1909 麻布、油彩

ヘルマン・マックス・ペヒシュタイン 《パイプ煙草を吸う漁師》 1909 麻布、油彩

嗜好とは異なるのですが、男の生き様を描写した堂々たる画風に圧倒されました。

青騎士とカンディンスキー  1911年末、カンディンスキーとマルクは、ミュンヘンで「青騎士編集部第1回展」を開催し、眼に見える形や既存の価値観にとらわれず、精神的なものを自由な色彩とフォルムで表現することを目指しました。翌年の第2回展では、クレーが加わり、ピカソや「ブリュッケ」のメンバーも参加しました。(以下、割愛)

✢ヴァシリー・カンディンスキー 商人たちの到着 1905  麻布、テンペラ

ヴァシリー・カンディンスキー《商人たちの到着》 1905  麻布、テンペラ

ポスターのようにも見える筆のタッチが独特です。実景のようでもあり、想像の産物のようでもあり…。多用された青緑色が神秘性を帯びています。

ヴァシリー・カンディンスキー 《商人たちの到着》 部分

第一次世界大戦とクレー  1914年8月、ドイツが第一次世界大戦に参戦すると、戦争を熱狂的に支持する層が現れます。クレーの友人で「青騎士」のメンバーだったフランツ・マルクも、この戦争に理念的に共鳴し、志願して従軍の後、戦死しました。(中略) 1916年からはクレー自身も徴兵されますが、前線勤務は免れ、自由時間を確保して制作を続けました。(以下割愛)

✢パウル・クレー 金色の縁のあるミニアチュール 1916 紙、水彩・インク、台紙に貼付

パウル・クレー 《金色の縁のあるミニアチュール》 1916 紙、水彩・インク、台紙に貼付

理解を超える世界観ながら、魅了されます

パウル・クレー 《金色の縁のあるミニアチュール》 部分

アール・ヌーヴォーの上陸   19世紀末に登場したアール・ヌーヴォーは、1900年のパリ万博で爆発的なブームをおこしました。(中略) アール・ヌーヴォーの到来は、日本にデザイン(商業美術)という概念ももたらしました。その先駆者となったのが、港屋という店を開いてオリジナルグッズを販売した竹久夢二でした。

✢竹久夢二 港屋絵草紙店 1914 紙、多色木版 天江・島田コレクション

✢竹久夢二 《港屋絵草紙店》 1914 紙、多色木版 天江・島田コレクション

竹久夢二の作品、と即座に分かりますよね。三十代の頃、沢山拝見したせいか、撮影だけして通り過ぎました。

パリのポスター  1890年代以降のフランスでは、ポスターが熱狂的な注目をあつめました。シェレは、「近代ポスターの父」とも評されます。(中略) ロートレックの《ディヴァン・ジャポネ》では、人物を大胆に切り取るという手法が取り入れられ、当時流行していた日本の浮世絵の影響がみられます。

✢ジュール・シェレ カンキーナ・デュボネ 1895  紙、多色石版 三浦コレクション

ジュール・シェレ《カンキーナ・デュボネ》 1895  紙、多色石版 三浦コレクション

胸の大きく開いたドレスを着用して微笑む女性。右手にグラス、左手に瓶。白い猫。時代を感じさせるポスターですね。

✢アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック   ディヴァン・ジャポネ 1893  紙、多色石版 三浦コレクション

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック 《ディヴァン・ジャポネ》 1893  紙、多色石版 三浦コレクション

黒色は映り込みを回避し難く、女性のドレスに映り込みがあります。彼女が右手で引っ張っている、服の一部しか描かれていない人物との関係性が気になります。

自我の芽生えと個の表現   明治になりヨーロッパの思潮が流れ込むと、日本でも自我の意識が芽生えます。近世までの儒教的思想や因習から自らを解き放ち、個人の存在意義を確認する必要に迫られました。その先駆的な動きが北村透谷や島崎藤村らの文学雑誌『文學界』によってもたらされます。(以下割愛)

✢岸田劉生 真田久吉氏像 1913 麻布、油彩

岸田劉生 《真田久吉氏像》 1913 麻布、油彩

刹那、只者ではない…と思ったら、岸田劉生画伯の作品。岸田劉生といえば《麗子像》ですが、他の人物をモデルにした作品も手掛けていたのですね。

✢東郷青児 コーヒーを飲む女 1925 麻布、油彩

東郷青児 《コーヒーを飲む女》 1925 麻布、油彩

SOMPO美術館『収蔵品コーナー』に展示されていた《窓》(1929年制作)を昨年鑑賞しました。4年違いで制作された2作品は、背景も画風もよく似ています。

展示風景

✢川端玉章 向島春色図 1894 絹本着色

川端玉章 《向島春色図》 1894 絹本着色

川端玉章画伯の作品は初見です。二文字も相違するのに「川合玉堂」と思い込んで拝見しました。早合点は恐ろしい😰

川端玉章 《向島春色図》 部分

✢安田 靫彦ゆきひこ 花の酔 1912頃 絹本着色

安田 靫彦 《花の酔》 1912頃 絹本着色

清楚な妙齢の女性がモティーフでもあり、忽ち魅了されました。構図も良いですが、配色もまた好ましい。

安田 靫彦 《花の酔》 部分

✢川端龍子 和 暖 1932 絹本紺地金泥 二曲一双

川端龍子 《和 暖》 1932 絹本紺地金泥 二曲一双

いつの時代も金地が好まれる傾向にありますが、この二曲一双屏風の地は紺色。モティーフを金泥で表現した本作は華やかながら、闇の中で開花したような、密やかな世界が表現されています枝に止まった鳥も気配を殺してじっとしています。

川端龍子 《和 暖》 右隻 部分 
川端龍子 《和暖》 左隻 部分

✢パウル・クレー 緑の中庭 1927 厚紙、油彩・水彩・ペン

パウル・クレー 《緑の中庭》 1927 厚紙、油彩・水彩・ペン

印象派を想起する作品。油彩・水彩・ペン…多彩な技法を駆使して仕上げたのですね。

展示風景

✢ヴァシリー・カンディンスキー 小さな世界 1922 紙、多色石版

右上の作品から時計回りに《小さな世界1》《小さな世界2》《小さな世界3》《小さな世界4》

2025年3月、東京都美術館で鑑賞した《ミロ展》を彷彿させるものがあります。もしかして…とネット検索したら、カンディンスキーとミロは親しく交流していたらしい。お互いインスパイアされたということでしょうか。

せまりくる版画 《われらの父》は、キリスト教の祈祷の言葉を題材にした版画集です。アフリカやオセアニアの彫像から刺激を得た鋭角的な造形が、木版が作り出す力強い線の効果と相まって、超越者の神秘性と祈る人々の魂の高ぶりの描写に、文化的背景を超えて伝わる強烈な表現性をもたらしています。(以下、別に引用)

展示風景

✢ヘルマン・マックス・ペヒシュタイン 私たちの日々の糧を今日もお与え下さい 1921 紙、木版・手彩色 われらの父

ヘルマン・マックス・ペヒシュタイン 《私たちの日々の糧を今日もお与え下さい》 1921 紙、木版・手彩色 われらの父

この連作には独特なタイトルが付いています。《私たちの負債(おいめ)をお許し下さい》というタイトルの作品もありました。

せまりくる版画  (前略) ルオーが版画集《ミセレーレ》で目指したのは、油彩画に匹敵する重厚感を備えた銅版画でした。(以下、割愛)

展示風景

✢ジョルジュ・ルオー 神よ、われを憐れみたまえ、あなたのおおいなる慈しみによって 1923 版刻 

ジョルジュ・ルオー 《神よ、われを憐れみたまえ、あなたのおおいなる慈しみによって》 1923 版刻 

映り込みをご容赦ください。この連作のタイトルも独特。《弁護士は空々しい言葉で、彼がまったく無意識であったと主張する…》というタイトルの作品もありました。

1930年代のクレー  1930年代ドイツで勢力を拡大したナチスは、彼らにとって好ましくない芸術への中傷や追放を行いました。クレも家宅捜索や教職解雇を受け、1933年末には故郷スイスへの亡命を余儀なくされます。亡命先では、経済的な孤立や疾患に苦しめられますが、1937年には旺盛な制作を再開し、それは1940年に60歳で亡くなるまで続きました。(以下、割愛)

✢パウル・クレー 内なる光の聖女 1921 紙、多色石版 新ヨーロッパ版画集 第1集

パウル・クレー 《内なる光の聖女》 1921 紙、多色石版 新ヨーロッパ版画集 第1集

本作も私の理解を超えますが、才能豊かな方かと。

✢パブロ・ピカソ 帽子の女(女性の顔) 1939 紙、墨 佐藤忠良コレクション

パブロ・ピカソ 《帽子の女(女性の顔)》 1939 紙、墨 佐藤忠良コレクション

2025年6月、国立西洋美術館で《Picasso ピカソの人物画》展を鑑賞。ピカソ作品を拝見するのは一年振りです。軽快なタッチで表現された本作も良いではありませんか。

✢ジョルジュ・ルオー 街外れのキリスト 1938−39  麻布、油彩

ジョルジュ・ルオー 《街外れのキリスト》 1938−39 麻布、油彩
ジョルジュ・ルオー 《街外れのキリスト》 部分 

嗜好とは異なりますが、こんなインパクトのある絵画を素通りすることはできず、取り上げてみました。タイトルに『キリスト』とあるんだからキリストだよね…と従ってしまうのは私だけでしょうか。

都市と夢  1930年代は関東大震災後の再開発によって、都市の姿が近代的にさま変わりしました。同時にシュルレアリスム(超現実主義)という思想が流入し、不思議なイメージの表現が登場します。それらは時には夢幻的な、時にはグロテスクな表情となってあらわれました。(以下、割愛)

大沼かねよと社会的テーマ  宮城県栗原郡岩ヶ崎町(現・栗原市)出身の大沼かねよは、上京後、浅草で小学校に勤務するかたわら制作に励み、1930(昭和5)年に帝国美術院展覧会(帝展)に初入選しました。(中略) 大沼は、日常的に目にしていた貧しい労働者や都会の人々の姿を大画面に堂々と構成して描き、男性中心であった当時の画壇において「女流とは思えない」と高く評価されました。

褒め言葉が「女流とは思えない」とは、男尊女卑の最たる例ですね。

✢大沼かねよ シューズクリーニングショップ 1933  麻布、油彩 寄託作品

大沼かねよ 《シューズクリーニングショップ》 1933  麻布、油彩  寄託作品

大作です。拝見した途端、昭和だ!! と思いました。上記の解説通り、この堂々とした画風、言い換えれば制作者の気概を否定する余地は全くありません。

安井曽太郎と宮城  (前略) 安井は1933(昭和8)年に始まる河北美術展(当時・東北美術展)の審査員を約10年間務めます。(以下、割愛)

✢安井曽太郎 少女像 1937 麻布、油彩

安井曽太郎 《少女像》 1937 麻布、油彩

本作も、古き良き時代に制作された作品、という印象。モデルとなった少女の硬い表情が逆に新鮮です。当時、この背景色は斬新だったのでは。

展示風景

松本竣介《画家の像》の時代  日中戦争の長期化により、1938(昭和13)年には国家総動員法が公布され、日本社会は戦時色を強めました。(中略) こうした状況の中、松本竣介は1941年、雑誌『みづゑ』1月号の座談会記事に対し「生きている画家」を寄稿し、芸術を翼賛体制に組み込もうとする強圧的な動きにヒューマニズムの立場から異を唱えました。(以下、割愛)

✢松本竣介 郊 外 1937 板、油彩

松本竣介《郊 外 》 1937 板、油彩

一瞬、水中かと思いました。この世界観も、私の理解の及ぶところではありません。

松本竣介 《郊 外》 部分

ドイツ・コレクションの始まり   ここに展示する素描は、もとはカンディンスキーの死後にニーナ夫人が保管していたスケッチブックに描かれていたものです。(中略) 素描と言っても線やモティーフの配置は念入りに計算され、一枚一枚が完成したコンポジションとしてサインが記されています。(以下、割愛)

ヴァシリー・カンディンスキーの素描

✢ヴァシリー・カンディンスキー 活気ある安定 1937 麻布、混合技法

ヴァシリー・カンディンスキー 《活気ある安定》1937 麻布、混合技法

カンディンスキーかミロか、当ててみろ!このダジャレは、東京都美術館で開催された《ミロ展》に倣ったもの。2025年3月6日に36歳の誕生日を迎えた俳優/岩田剛典さんが音声ガイドナビゲーターでした。たまたま3月6日に来館したら、音声ガイドのレンタル料金がその日だけ360円でした。

展示室を退出。チケットを提示した受付の後ろ側に、休憩スペースが設けられています。椅子が16もあるので、譲る気遣いはご無用。ゆっくり休めますよ。

休憩スペース

以上、印象に残った展示作品をご紹介しました。ボリュームがあるので、1階(展示室3・展示室4)、地階(展示室5・展示室6)の作品紹介は【後編】(手付かずですが、6月中にアップする予定)に譲ります。

宮城県美術館リニューアルオープン 全館 コレクションで魅せます 美術の時代

―余談― 当ブログでご紹介した展示作品のうち、制作年表記のない作品が2点ありました。ネット検索すれば制作年は特定できると思いますが、キャプション表記に倣いました。

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